Gemini(ジェミニ)
シカゴ・ハウスシーンで最もミステリアスと言われるプロデューサー、Gemini(ジェミニ)。
才能とスキルにあふれ、繊細で複雑なトラックを作ることで知られていたものの、2000年を境に姿を消し、その伝説はさらに神格化されていくばかり。
実質活動期間5年、シングル22枚、アルバム4枚をリリース。今回は、いつものDJプロフィール紹介フォーマットではなく、ほとんど実態がわかっていない彼のディスコグラフィーを、年代を追って紹介します。
Gemini(ジェミニ)ことSpencer Kincy(スペンサー・キンシー)は1969年6月6日シカゴ生まれ、ふたご座。DJ Sneakと同じ歳。
20代前半、シカゴのクラブSmart Barや、レコードショップ Gramophone Records(グラモフォン・レコーズ)に出入りしており、Cajmere(Green Velvet)に見いだされて12inch デビュー。
Gemini – The Beginning(1994)
こちら909でも808でも303でもなく、キックやハイハット、ベースなどすべてサンプリングで構成されており、シカゴハウス規格外。Caj自身のBrighter Days前の初期作品に似ています。
リヴァーブのかかり方が、トニー・アディスによるAddis AbebaスタジオやFaze Action、Nu Phonicのダブの雰囲気に近く、イギリスのDJが好みそうな音。
以降の作品にもサンプリングでジャズがよく登場しますが、ジャズファンク登場以前の、スウィング期やビバップ期の古いジャズを好んで聴き込んでいたようです。
Gemini – U Know How I Feel(1994)
こちら2枚め。Sneakっぽい909と、ジャジーなトランペットのコール&レスポンスに、ゲーム音のようなシンセが絡む、不穏な曲調。
Gemini – Imagine A Nation(1994)
3枚め。ヴォーカルでもラップでもない、スペンサー本人の淡々とした語りが入っている、ほぼキックレスに聴こえる曲。
キックの替わりに進んでいくファンキーなスラップベースはサンプリングのようですが、オリジナルがわかりません。
リリックの内容としては「Imagine a nation full of love…(愛に満ちた国を想像してごらん) 」といった形で、音学が織りなす精神的な解放やユートピア思想を表現しています。
Gemini – If U Got To Believe In Something(1995)
4枚めからCajualに移籍。男性ヴォーカル+トランペット+ウッドベースのJazzハウス。ロバート・オーウェンスのような声は、自分で歌っているとのこと。
ハイハットのバランスが非常に悪くて聴きにくいですが、これは古いレコードからノイズも含めてサンプリングしているので、こうなるとのことです。
A面がNorth Side、B面がSouth Sideになっていますが、これはCajualの決まりで、シカゴの北(Smart BarやMedusa’sなどアップタウンにあるクラブを意識した、90年代以降の音)と南(The WarehouseやMusic Boxなどダウンタウンにあったクラブを意識した初期の音)を意図して、ラベリングされています。
Gemini – Le Fusion(1995)
5枚め。EPのタイトルが「Le Fusion」で3曲入りながら、各曲のタイトルがなく、もうタイトルなどどうでも良くなっているようです。ヴードゥのような不協和音コードのオルガンに、何を言っているのかよくわからないフランス語の男性の語りとスキャット。
ウッドベースはサンプリングと思われますが、アフリカで流行っていたフレンチジャズ風。アルジェやチュニスの粗めなライブ録音の音がします。
Spencer Kincy – Life With Music(1995)
6枚め。イタリアのHeartbeatという有名レーベルから。過去作を聴き、ジャズハウスを気に入ったイタリア人A&Rが声をかけたものと思われます。この後も何枚かHeartbeatからリリース。
A面がGemini、B面が本名のSpencer Kincy名義で、アーティストの自分と素の自分という対比がコンセプトになっています。つまりこの頃はまだ、アルターエゴと自分を分ける自我があった(自我とは何かを意識していた)ということ。
シンセの音色やハイハットの抜けが、この頃のイタロハウスに特有の鳴りで、かなり意識して作っています。
Gemini – A Moment Of Insanity(1995)
7枚めは、デトロイトCarl CraigのPlanet Eからのリリース。
表題曲は、アナログ感は残しながらも、いかにもカール・クレイグが好きそうなフュ―チャリスティックなジャズハウス。レーベルカラーを気にして、器用に作り分けています。CajmereやSneakはそんなことしません、オレはオレ。
Gemini – Welcome To The Future(1995)
8枚めはReliefに戻り、突然 Sneakに弟子入りしたような909ドンドコ系。この調子だと全レコードを解説するハメになるので、以降、適度に端折ります。
ここまでのレコードは小ロットプレスのため入手困難でしたが、2010年代に入りイギリスのAnotherday Recordsというレーベルがほぼ全部を再発。それも売り切れて現在入手困難。中古で出たら買いです。
Gemini – Funkey Dancer(1996)
ドイツのPerspective SDSというレーベルからのリリース。Planet Eの時と同じ、フュ―チャリスティックなテクノを意識していますが、カチカチ鳴っているリムショットがHerbertに近く、当時流行りはじめていたマイクロ・ハウスのクリック音を取り入れたようです。
もしかしたらDerrick Carter(デリック・カーター)からHerbertのことを聞いたのかもしれません。
勉強熱心な人で、シカゴハウスのテンプレから抜け出すにはどうしたらいいか、試行錯誤していたと思われます。
このレコード、異常に音が良いです。ドイツのマスタリング技術がズバ抜けていたようで、アメリカ産やイギリス産のレコードにはありえない空間演出力。
Gemini – Counting Sheep(1996)
イギリスの老舗Peaceflogより、落ち着いたジャズハウス。これが縁で、Geminiは初アルバム『In And Out Of Fog And Lights』をPeaceflogより翌年リリース。
シカゴのゴリゴリ感は皆無で、時々ピアノやローズも入り、Talking Loudから出ていてもおかしくないスムース&ディープな傑作アルバム。
Gemini – Pelargonium(1997)
アルバムのメイン曲。「ペラルゴニウム」はゼラニウムやベゴニアに似た蝶のような花をつける観葉植物で、イギリスの庭をイメージしてつけられたもの。アルバムタイトル「霧と光」の中でも、光を感じられる明るいトラック。
この後、同年Reliefよりアルバム『Imagine-A-Nation』をリリース。タイトルは以前のシングルと同じですが、内容は全曲新曲、アルバムオリジナルのトラック。
Gemini – Native To America(1997)
アルバム1曲め。先のイギリス発アルバムと正反対に、あらゆる不協和音を全部集めたようなアグリーなトラック。美しい音楽だけが存在する世界に生きていたいけど、自分が生きているのはアメリカという国なんだ、とでも言いたげ。
各曲タイトルからも、曲そのものからも、Geminiの「負」の部分を集めたアルバムと言えます。
さらに同年、アルバム『In Neutral』をフランスのDistanceのサブレーベル、Substanceからリリース。この会社はケンイシイさんやChez Damierなどリリースしており、アンビエント・テクノやトランスが得意なレーベル。
Gemini – Campanula(1997)
カンパニュラは紫色の花が咲くキキョウの一種。地中海をイメージさせる花としてタイトルに冠したようですが、実際はロンドンアルバムほど明るくなく、シカゴアルバムほど暗くもなく「ニュートラル」の通り、シカゴハウスがベースで、ウワモノはさわやかなテクノという組み合わせのアルバム。
1年にフルアルバム3枚は異常なスピード。当時、ハウスのプロデューサーがアルバムを出すのはめずらしく、出してもシングルの寄せ集めが多かったので、しっかりコンセプトを立てて全曲作り下ろし、しかも3枚全部違うレーベルから出すなど、この人しかやっていません。
翌1998年、イギリスのCycloより「Take Your Time EP」リリース。
Gemini – Return Of The Jack(1998)
あの音の洪水アルバム3連発は何だったのか、というシンプルなテックハウス。おそらくドイツから流れてきたミニマル・テックの流れを意識していると思われます。生音でミニマルをやってみた、という感じ。
1999年、ドイツのChiwaxというレーベルから「Swimmin’ Wit’ Sharks EP」をリリース。サメと泳ぐとは意味深なタイトル。
熾烈な音楽業界、搾取的なレコード会社、自身の精神状態の悪化に囲まれ、まるで捕食者に囲まれ溺れかけているという、さりげない最後の警告とのこと。
今となってみれば、そういう解釈ですが、当時は誰も知りません。
Gemini – Swimmin’ Wit’ Sharks(1999)
表題曲は、初期テクノ・ポップのようなピコピコしたコミックソング。ハウスやテクノなら何でも作れるため、同じ機材で違うことをしてみたかったようです。
2000年、とうとう最後のアルバム『The Music Hall』をリリース。1曲め「The Entrance」2曲め「Let’s Go」といった、謎のミュージックホールに入っていくような構成になっています。
Gemini – At That Cafe(2000)
ハウスにこだわっておらず、先の「Swimmin’ Wit’ Sharks」が最後に入っていることからも想像がつく通り、かなりコミカルな音がてんこ盛りのテクノ・ポップなアルバム。どうしてこうなったのか謎。
ジャーナリストの間では、彼の精神状態が悪化するにつれ、子供のような無邪気な状態に戻り、シカゴの重苦しくシリアスな雰囲気を捨て、何ものにも傷つけられない、遊び心にあふれた、生き生きとした幻想の世界を築き上げた、という評です。
これでリリースは終わり、Geminiは突然姿を消します。2000年から10年間は、スペンサーは亡くなった、施設に入院した、あるいは完全に路上生活を送っているという噂が飛び交います。
2009年、地元シカゴのTerry Matthew編集長率いる5Magazineが徹底調査。公式文書などから、スペンサーが2000年を機に、プロデューサーとしてよりよい制作環境を求めてカリフォルニアに移住したものの、そこで失敗し、2002年頃にスタジオ機材とDJ機材を失って、シカゴに戻っていたことを発見します。
シカゴでは、アップタウン地区の単身者用ホテルやシェルターで何年も暮らし、生き延びるために時折物乞いをしていたとのこと。
さらに公開された裁判記録によると、彼は公務員、FBI、CIAに対して約3000万ドルを求めて大規模で支離滅裂な連邦訴訟を起こしており、精神状態がひどく悪化していたこともわかりました。
5 Magazineは2012年「Gemini Inc:スペンサー・キンシーの第二幕」という特集記事を掲載。ジャーナリストと家族が協力して彼と接触し、路上から救出。現在は地元を離れ、家族と一緒に暮らしているとのことです。
再発を手掛けるレーベルは、スペンサーとその家族への経済的支援として、その印税を送っており、過去作品からある程度の収入が得られているようです。
ここまで見る限り、コロコロとプロデュース・スタイルが変わったり、トラックのタイトルが意味深だったりするものの、狂気の変人という感じでもないのが正直な印象。
「オレはオレ」スタイルをつらぬくシカゴハウス・ギャングたちと違い、レーベルにあわせてテイストを変えるあたり、他人の影響を受けやすく、感受性が高くて職人気質。
だからこそアーティストたるべき自分と、本来の自分と、何だか齟齬があるような気持ちになってしまったのかもしれません。
カリフォルニアで悪徳A&R詐欺師にでも騙されて、ああしたい、こうしたい、こうなりたいというのが爆発し、政府陰謀論にもハマったりして、頭のネジが飛んでしまったようです。
リアルで現場主義、ブルーカラーのシカゴにおいて、ハウス好きはみんな友達という環境で育った彼が、やたらと富と名声をひけらかし、どこから来たかもわからない怪しい音楽関係者がうじゃうじゃいるカリフォルニアに単身行くのは、そもそも危険だったのかもしれません。
全作品、センスのある楽曲づくりで、シカゴというよりヨーロッパのプロデューサーに近いアプローチ。サンプリングひとつとっても、古いジャズからとったソースを、かなり音をまるめて使っており、上品に聴こえます。
消えた天才は、音づくりに異常な執着心と探求心を持ちながらも、人間としては普通のマジメな人だったに違いありません。
復活はなさそうですが、ご家族と末永く、安全で静かに暮らしていただくことをお祈りしております。


