2011年にマドリードで開かれたRed Bull Music Academyの講演で、「ゴッドファーザー・オブ・ハウス」と呼ばれたFrankie Knucklesが、40年にわたるキャリアを振り返っています。
聞き手はJeff “Chairman” Maoで、話はWarehouseでハウスという名前が生まれたころから、制作を離れた10年とその後の再起にまでおよびました。
Bronxからシカゴへ渡ったDJ
KnucklesはニューヨークのBronxで生まれ、幼なじみのLarry Levanとともに15、16歳のころからクラブに出入りしていました。
1977年にシカゴへ移ってWarehouseのレジデントDJになると、そのプレイには最大2,000人が集まったそうです。
Warehouseは主に黒人とラテン系のゲイの男性が通った店で、ハウスというジャンル名はこのクラブの名前を縮めたものとされています。
1982年11月にWarehouseを離れたあとは自分のクラブThe Power Plantを開き、1991年にはVirgin Recordsから初のアルバム『Beyond the Mix』を発表しました。
1997年にはグラミー賞のRemixer of the Year, Non-Classicalを受賞し、2004年8月25日にはシカゴの通りの一部にFrankie Knuckles Wayという名誉名が付けられています。
会員制のWarehouseと、ハウスという呼び名
Knucklesによると、Warehouseはのちに共同経営者となるRobert Williamsの構想で、手本はDavid MancusoのLoftでした。
Williamsは最初Larry Levanに声をかけたものの、LevanはParadise Garageの準備中で、ちょうど仕事のなかったKnucklesに話が回ってきたそうです。
店は会員制で、新しく入るには会員5人の推薦が必要だったほか、DJブースは荷物の搬入口に作られ、音響はRichard Longが設計したものでした。
本人は、当時をロマンチックに想像する人もいるものの「実際はとても、とてもシンプルだった」と振り返っています。
ハウスという言葉を初めて見たのは1980年か81年ごろで、シカゴのサウスサイドにあった酒場に「We play house music」という看板が出ていたそうです。
一緒にいた友人に尋ねると「君の店でかけている音楽だよ」と言われ、店の愛称のHouseがそのまま音楽の呼び名になっていたと知ったといいます。
人々が自分とその音楽をひとつに結びつけていると分かり、Knucklesはこのとき初めてシカゴの一員になれたと感じたと話しています。
バイヤーとして関わっていたレコード店にもハウスの棚(The House Section)ができ、彼は誰もが手に入れられるだけの枚数を仕入れるよう心がけていました。
テープの切り貼りから、DJブースで録ったYour Loveへ
制作の入り口は、Warehouse時代の1979年末から80年ごろに始めたテープの再編集で、エンジニアリングを学んでいた友人のエディットがきっかけでした。
学校に通う気はなかったKnucklesは、友人からスプライシングブロックとテープをもらい、オープンリールのデッキを買って家で手当たり次第に切り貼りしたそうです。
本格的な制作は、Knucklesがバイヤーとして関わっていたレコード店に来たJamie Principleから、プロデュースを頼まれたことが始まりでした。
Jamieは1曲に何ページもの歌詞を持ち込んできたため、Knucklesは多くを削り、曲の芯にある素朴さを残すことに集中したといいます。
こうして生まれた「Your Love」は録音スタジオではなくPower PlantのDJブースで録られ、最初に出た版はカセットから起こしたものだったそうです。
Power Plantは2年半で幕を閉じ、クラブの収入が制作につぎ込まれていく中で、店をこれ以上傷めないよう制作に専念する道を選んだと説明しています。
講演の年にはEric Kupperとこの曲を一から録り直し、新しいシングルとして出していました。
歌を生かすリミックスと、Def Mixのやり方
シカゴではできることをやり尽くしたと感じてニューヨークに戻り、David Morales、マネージャーのJudy WeinsteinとともにDef Mixを立ち上げます。
Moralesは500作以上のリミックスやプロデュースを手がけ、Mariah Careyの仕事でも知られるプロデューサーです。
Knucklesによると、それまでのリミックスは手元の素材だけで組み直すものでしたが、Def Mixはミュージシャンを呼んで演奏を重ねていきました。
歌はそのままに伴奏をまるごと書き直してエネルギーを足すやり方で、自分たちがリミックスの作り方そのものを変えたと話しています。
素材を預かったときに最初に探すのは「曲の中の魔法」で、それはたいてい歌い手の歌の中にあるそうです。
自分を出すより歌を引き立てるほうが難しく、そのほうが大事だというのがKnucklesの考えでした。
Virginのアルバムで最初に作った「The Whistle Song」でも、マネージャーから歌詞を付けるよう勧められましたが、「声は要らない」と断ったといいます。
制作を離れた10年と、Blindでの再起
1990年代の終わり、トランスなどが勢いを増してソウルに根ざした音楽が隅に追いやられる中で、Knucklesは約10年間制作から離れていました。
それでもDJは手術で休んだとき以外は続け、数年前にミニマルが流行したときも、ほかと違う音を出していたことでかえって出演が増えたそうです。
体調を崩して半年休み、さらに3か月のリハビリを経ていたKnucklesを、Hercules & Love Affairは9か月待ってリミックスを頼み直しました。
その曲「Blind」は2008年に出た彼らのデビューアルバムからの最初のシングルで、Pitchfork Mediaの2008年のベストトラックで1位、Resident Advisorでも6位に選ばれています。
本人は片手間のつもりで手早く仕上げてツアーに出ていましたが、アテネのクラブで客にリクエストされてかけると「フロア全体が沸いた」そうです。
Knucklesはこの反応を見逃せない合図と受け止め、もう一度制作に取り組むことを決めました。
名前を見ただけで「いつもの音」と決めつけられないよう、Eric Kupperと新しい名義Director’s Cutを立ち上げ、インディーバンドや新人の作品をほぼ無償で手がけ始めます。
講演の年には、Jamieと組んだ「I’ll Take You There」と、続く「Human Life」がそろって1位を取り、「Your Love」の新録も出たところでした。
講演の全文(英語)はRed Bull Music Academyで読めます。



