シカゴの伝説的なクラブ「The Warehouse」があった建物が取り壊しの危機に瀕しています。
1975年にシカゴのイベントオーガナイザーだったRobert Williams(ロバート・ウィリアムズ)は、ジェファーソン通り206番地の1910年代に建てられた倉庫ビルを購入し、ニューヨークの最高のナイトクラブにする計画を立てました。
2年間の改装を経て、最高の音響システムを備えたウェアハウスは3階建てのナイトクラブとしてオープン。
当初は黒人のゲイが多く通う会員制のクラブでしたが、やがてウェアハウスはLGBTQ+コミュニティだけでなく、音楽への愛で集まったシカゴの多様な人々にとって、ダンスフロアの自由を体現する場所となりました。
ウェアハウスのオープンに先立ち、ウィリアムズは友人でニューヨークのクラブDJを代表する一人であるFrankie Knuckles(フランキー・ナックルズ)をレジデントDJとして起用しました。
フランキー・ナックルズはそこから5年間、ディスコ、エレクトロニック、ソウル、ゴスペルなどを融合させた画期的な新しいダンスサウンドに磨きをかけました。
ウェアハウスはこの発展途上のサウンドを聴くことができる唯一の場所としてシカゴで評判となり、後に「ハウス・ミュージック」と呼ばれるようになったのです。
ウェアハウスからハウスミュージックは瞬く間に世界中に広まり、その後何十年にもわたり、ハウスミュージックは音楽界で最も大きな成功を収めたジャンルのひとつとなりました。
ウェアハウスは音楽史における重要な位置である他に、黒人やLGBTQ+の歴史を伝える場所としても注目されています。
シカゴの音楽と文化の歴史において非常に重要な建物にもかかわらず、ウェアハウスには改築や取り壊しに対する保護がありません。
Preservation Chicago(シカゴの保存協会)は、シカゴ市に対し、シカゴの音楽史において非常に重要なこの場所を保護する措置を講じるよう強く要請しました。
3月14日には取り壊しを阻止するための請願を開始し、これまでに多くの人が請願書に署名しています。