Frankie Knuckles(フランキー・ナックルズ)が<The Warehouse>を辞め、1982年に変電所だった建物に自分のクラブ<The Power Plant>をオープンしたことにより、<Warehouse>のお客さんはFrankie Knucklesを追うように<Power Plant>へ流れて行きました。
<Warehouse>のオーナーRobert Williams(ロバート・ウィリアムズ)は、ビルとの賃貸契約が切れたため、数か月の閉鎖の後、クラブの場所を移転し、新たに名前を変え、<The Music Box>として新たにオープンさせました。
オープン当初はRobert Williams自身がDJを務めていましたが、<Power Plant>に対抗するため、後釜として<The Ritz>でレジデントを務め、評判を上げていたRon Hardy(ロン・ハーディー)をレジデントDJに迎え入れました。
Ron Hardy
Ron HardyことRonald Randall Hardyは1957年5月8日に生まれ、シカゴのサウスサイドのチャタムで育ちました。
Ron Hardyは学校で勉強するよりも父親のブルーノートとアトランティックのレコードコレクションに興味を持つような子供だったそうです。
Ron Hardyは1974年にシカゴのゲイクラブ<Den One>でキャリアをスタートさせました。ここでは、2つのターンテーブル、ミキサー、およびリール2リールのテープデッキのセットアップで、Frankie Knucklesがシカゴに来る以前から、のちにハウスミュージックと呼ばれるような曲調の新しいディスコミュージックをプレイしていました。
そのため、Frankie Knucklesがニューヨークスタイルをシカゴに持ち込み、それがハウスミュージックとして広まったことは紛れもない事実ですが、Ron Hardyをハウスミュージックスタイルの第一人者とする声もあります。
フランキーのプレイスタイルは非常にスムーズでしたが、ロン・ハーディーのプレイはラフでワイルドでした。彼は音質はあまり気にせず、マニアックなエネルギーで、クラシックなフィリーソウルからイタロディスコ、ニューウェーブ、ロックまですべてをミックスしました。
ロン・ハーディーは、通常のBPMより、はるかにピッチアップすることで知られており、Derrick Mayは、ロン・ハーディーがターンテーブルのピッチを「+8」にして、スティービーワンダーの曲をプレイしているのを見たと言います。
これはロン・ハーディーが、人が知る限りのドラッグを端から端までやるぐらいのヘビーなドラッグ中毒だったことが大いに関係していると言われています。
The Music Box
<Den One>閉店後、1977年に一時LAへ移転していたRon Hardyでしたが、1982年にシカゴに戻り、<The Ritz>でレジデントDJを務めていました。
その頃、Robert Williamsから共通の友人を介して、<The Music Box>でレジデントDJになるオファーを受けました。
オファーを受けたロン・ハーディーでしたが、フランキーの<Warehouse>がとても人気があったため、<Music Box>がオープンした初期の頃、ロンは集客するのに苦労していました。
1977年にニューヨークからやって来て、シカゴの絶対的なキングとして君臨しているFrankie Knucklesに対抗することは簡単なことではありませんでした。しかし、最終的には<Warehouse>が土曜日の営業を諦めるほど<Music Box>の人気を高めることに成功しました。
金曜日は<Warehouse>、土曜日は<Music Box>と人気を二分し、ある程度の年齢のパーティー好きはフランキーの<Power Plant>へ行き、クレイジーな客は<Music Box>を好みました。
<Music Box>では天井から吊るされたスピーカーが、クラブの端から端まで、誰も聞いたことないぐらい大きな音で鳴り響き、ドラッグでトリップしたクラブのダンサーたちを大いに刺激しました。耳に障害が出てもおかしくないくらい、とてつもなく大きな音だったそうです。
涙するもの、失神するものが出るほど、ロン・ハーディーは感情を揺さぶる技術に長けており、激しく細かいイコライジング操作や、時に音楽を止めて、キング牧師の演説を流すなど、そのプレイはアンダーグラウンド・ミュージックを携えた、ダンスフロアのマッドサイエンティストのようでした。
<Music Box>のフロアは満員状態で、お客さんは汗だくで激しく踊ることが前提になっているため、ファッションにも変化が起こり、バギーパンツにスウェットなどスポーティーな格好が基本になっていました。
シカゴのグループPhutureが1985年の終わりに制作した「Acid Tracks」のデモテープを受け取り、初めてクラブでプレイして、アシッドハウスが世に広がるきっかけを作ったのもRon Hardyでした。
「Acid Tracks」は、Phutureのメンバー、DJ PieereがRolandのTB-303の使い方がわからずに、適当にツマミを動かしていた時に偶発的に生まれたサウンドのトラックでした。
若きプロデューサーチームはこの革新的なトラックをRon Hardyにプレイしてもらおうと、冬の寒空の中、<Music Box>の外で凍えそうになりながらRon Hardyが来るのを待ち、デモテープを渡しました。
デモテープを気に入ったRon Hardyが「Acid Tracks」を初めてプレイしたある晩、1度目のプレイではお客さんが曲を理解出来ずに、フロアから離れてしまいました。しかし、Ron Hardyが並の感覚じゃないのはここからで、同じ日に2度、3度とプレイし、午前4時にプレイした4度目でついにフロアを爆発させました。
その後、1987年に<Trax Records>からリリースされた「Acid Tracks」は、シカゴのみならず、ヨーロッパのダンスフロアでも大ヒットとなりました。
シカゴのハウスシーンはローカルを飛び出しグローバルになりつつありました。<Music Box>もさらなる盛り上がりを見せるはずでしたが、残念ながら<Music Box>は長くは続きませんでした。
1987年にシカゴ市の営業時間に関する新たな条例が可決されると、条例違反により<Music Box>は閉店させられることになりました。
その後、Ron Hardyはシカゴでプレイを続けましたが、その頃には酷いヘロイン中毒症状により徐々にDJプレイから離れることになり、1992年、イリノイ州スプリングフィールドにある母親の家でヘロインの影響により34歳でこの世を去りました。
<Music Box>は伝説のクラブとなり現在にまで語り継がれ、Ron Hardyのカリスマ性は今もなお大きな影響を与え続けています。
Hot Mix 5
<Warehouse><Music Box>と並び、もう一つシカゴのハウスシーンを形成した重要なものとして、地元のラジオ局WBMXで行われていたHot Mix 5(ホット・ミックス・ファイブ)のラジオショーがあります。
Hot Mix 5は、1981年にラジオ局のプログラムディレクター、Lee Michaelsによって編成され、Farley “Funkin” Keith (aka Farley “Jackmaster” Funk)、Mickey “Mixin” Oliver、Ralphi Rosario、Kenny “Jammin” Jason、Scott “Smokin” Silzの5名のメンバーで結成されました。
メンバーは流動的であり、一時はSteve “Silk” Hurley、Frankie Knucklesも参加していたことがあります。
2枚使いやスクラッチ、さらにはレコードに合わせてTR-808ドラムマシンをプレイしてビートを増強するなど、一人一人が卓越したアイデアとスキルを持っていて、クラブに行けない年齢のキッズたちを中心に大きな影響を与えていました。
Hot Mix 5のメンバーは、ミックス技術だけでいえば、Frankie KnucklesやRon Hardyよりも優れていたと言われています。
シカゴの全人口の1/3に当たる100万人ものリスナーがいたとされており、人々がラジオ番組のミックスを録音して、世界中の友人や親戚に送るため、Hot Mix 5のミックスが世界中で聞かれていました。
Hot Mix 5のプレイリストには、Depeche ModeやHuman Leagueなどヨーロッパのニューウェーブ・ポップが多く含まれていて、ハウスミュージックの発展にはヨーロッパのシンセ・サウンドが大きな役割を果たしていました。
初期にハウスミュージックと呼ばれていたものは、ファンク、ディスコや、イタロ・ディスコなどヨーロッパのダンスミュージックがDJによってミックスされたものでしたが、やがて、Frankie Knuckles、Ron Hardy、Hot Mix 5のDJプレイに魅了された若いアーティストたちがTR-808、TR-909、TB-303などの機材を手に入れて、ハウスミュージックが次のステップに進んで行くことになるのでした。
Ron HardyのDJセット
The Music Boxプレイリスト
Thelma Houston – I’m Here Again
ESG – Moody (Spaced Out)
Atmosfear – Dancing In Outer Space
Eddie Kendricks – Goin’ Up In Smoke
T-Connection – Do What You Wanna Do
Trussel – Love Injection
Stephanie Mills – You Can Get Over
K.I.D. – Hupendi Muziki Wangu
Liaisons dangereuses – Los niños del parque
Imagination – Burnin’ Up
Din Daa Daa – George Kranz
Trilogy – Not Love