The Gallery (ギャラリー)ディスコ勃興 – ハウスミュージックの歴史②

ギャラリー
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1970年代前半になるとギャンブル&ハフことKenneth GambleとLeon A.Huffによって「Philadelphia International Records(フィラデルフィア・インターナショナル・レコーズ)」が設立されました。ストリングスを前面に打ち出した華麗で柔らかく甘いサウンドが、フィラデルフィアソウル(フィリーソウル)と呼ばれるようになり一世風靡しました。

アメリカの作曲チームとしてギャンブル&ハフはMFSB、Harold Melvin & The Blue Notes、O’Jays、Billy Paulなどのプロデュースを手掛け数多くの成功を収めました。

ダンスミュージックシーンでのDJの選曲もそれまでの主流だったファンク、ソウルから、徐々に都会的で洗練されたディスコサウンドに変化を遂げて行きます。

David Mancuso(デイビッド・マンキューソ)の「The Loft(ザ・ロフト)」が生み出したコンセプト、サウンドなどに大きく影響を受けたNicky Siano(ニッキー・シアーノ)が「The Gallery(ザ・ギャラリー)」を作り、革新的なアイデアと共に70年代のクラブシーンをリードしました。

目次

Nicky Siano

Nicky Siano

高校生だったニッキー・シアーノにニューヨークで生まれたばかりのナイトクラブネットワークを教えたのは兄のジョー・シアーノの元恋人で、デイル・ゾートスという人物でした。

The Loftに連れて行ってもらった際に、デイビッド・マンキューソのプレイを体感し、衝撃を受けてDJを志すようになりました。デイビッドはみんなから崇拝されていて、浮世離れした存在でした。デイビッドはフロアがどんな心理的な経験をするかわかったうえで選曲していて、ただレコードをかけるだけということは1度もなく、1枚1枚が意味を持ち、卓越したDJプレイを作っていました。

ニッキーはレコードを集め始め、しばらくするとアーティスト名、タイトル、レーベル名などを全て言えるほどになりました。

当時恋人だったロビン・ロードがニッキーの才能に気づき、DJキャリアのために協力してくれるようになりました。ロビンはルックスとスタイルの良い16才の女の子だったため、マフィアの一員で、ラウンド・テーブルというクラブのマネージャーをしていたフレディに気に入られていました。そこでロビンが交渉して、1972年にニッキーは初めてDJとしての仕事を得て、1晩20ドルの報酬でプレイしました。ロビンとはほどなくして別れることになりましたが、その後も仲間として行動を共にしていました。

ニッキーはDJをしながらもThe Loftに通っていましたが、ある日、The Loftのパーティーでドラッグを売ったことがデイビッド・マンキューソにバレてしまい、出禁になってしまいました。遊び場を失ったニッキーは、その日をキッカケに自分たちのクラブを作ることを計画し始めました。

The Gallery誕生

当時、ストレート向けのイケてるクラブがなかったため、ストレート向けでThe Loftのような空間を作るアイデアを考えました。すぐにクラブを作るために場所を探したところ、チェルシーの22nd Streetにある建物の2階に、家賃385ドルで借りれるスペースを見つけました。ビジネスプランを立て、計算すると必要な予算が10,000ドルから12,000ドルぐらいになりました。この時ニッキーは17才でお金を持っていなかったため、兄のジョーに自分たちのクラブを作ることを相談しました。たまたま、ベトナム戦争で負傷し保険金が入り、まとまったお金を持っていたジョーの友人を紹介され、兄と一緒に16,000ドルの投資をしてくれました。

The GalleryはThe Loftから大きな影響を受けていましたが、内装においては自分の家のようなくつろげる内装をする場所だとは考えていませんでした。

ダンス用のフロアを別に設け、フロアの照明がすべて落ちると暗闇の中でタペストリーが輝くような仕掛けにし、エリアごとに異なった雰囲気にするため、ひとつのスペースは赤、青、白で塗って、別のスペースはグレーや黒で塗り、照明やサウンドシステムもスペースごとに変えました。

入場に関してはロビンが管理していて、The Loftと同じく招待制を導入し、招待状が無ければ一見客は入場出来ないようにしました。クラブ内ではソフトドリンクやスナックが無料提供されました。

1973年2月にThe Galleryはオープンしました。オープニング期間こそ多くの人が入り賑わいましたが、徐々に客入りが悪くなってきていました。しかし、思いがけないチャンスが巡って来ます。デイビッド・マンキューソがThe Loftを夏の間だけ閉店すると言い出したため、ニッキーは急遽2度目のオープニングパーティーを企画しました。その結果、行き場を失ったダンスフリークたちが500人以上押し寄せ、以降ギャラリーはニューヨークで1番のクラブへと変化していきました。

ニッキーは「デイビッドが俺たちにチャンスをくれたと思うんだ。」と話しており、The Loftの夏休み前の最後のパーティーでは、常連客がデイビッド・マンキューソに対し、「休まないでくれよ、これから俺たちはどこでダンスすればいいんだよ?」と懇願したところ、デイビッド・マンキューソはたまたま床に落ちていたThe Galleryの2度目のオープニングチラシを掴んで「ここに行けばいいじゃないか。」と言ったそうです。

夏休みを終えて、デイビッド・マンキューソはThe Loftを秋に再オープンさせると、The Loftには以前のようにお客さんが戻って来ました。それにより、The Galleryのお客さんが減るかと思われましたが、影響がなく双方のパーティーはうまく共存し、お互いを尊重していました。

The Galleryの客層はストレートが40%で、ゲイが60%程度だったと言われており、ダンスフロアでは6時間ひたすら踊り続ける人々で溢れていました。

ニッキー・シアーノのDJプレイは熱狂的で激しかったと言われています。ダンサーたちを楽しませることを第一として、出来る限り最高潮の状態をキープするために、通常のDJが3〜4枚でピークに持っていくのに比べ、10枚使ってピークまで持っていくようなプレイや、速いテンポの曲と遅いテンポの曲を織り交ぜてアップダウンを繰り返しクレイジーにするプレイなどがありました。

ニッキーはマイケル・カッペロ、デイビッド・ロドリゲス、リッチー・カクゾーなどからDJプレイの影響を受けたと公言しています。

また、MFSBの「Love Is The Message」を自身のテーマソングとしてヘビープレイしていて、MIX CDやDVDのタイトルに利用したりと頻繁に登場します。

MFSB – Love Is the Message

The Galleryでは、この頃まだ主流ではなかったピッチ可変式のターンテーブルを導入し、ビートを合わせたミックスを始めたり、レコードの2枚使いや、3台のターンテーブルを同時に使い始めたりと、ニッキー・シアーノは革新的なアイデアでカリスマ的人気を得ていきました。

The GalleryではLoleatta HollowayやGrace Jonesがライブを行ったことでも有名で、1977年1月にロリータ・ハロウェイのデビューアルバム「Loleatta」がリリースされると、その1ヶ月後にThe Galleryへ出演しました。ステージに上がると、ニッキーがプレイしていたCerroneの「Love In C Minor」に合わせてアドリブで歌い始め、ものすごい熱狂に包まれました。アルバムの曲を全曲歌いあげプロモーションとして成功した「Loleatta」は大ヒットし、ロリータ・ハロウェイはディスコクイーンとしての階段を昇っていくことになりました。

The Galleryは一度移転した後も、しばらくは繁盛していて、栄光はいつまでも続くように思われました。しかし、店が忙しくなるに比例してニッキーはドラッグにハマり問題を抱えるようになっていきました。この時代の多くのDJがそうだったようにニッキーもドラッグの罠に捕まってしまいました。そして、自分をコントロール出来なくなっていき、徐々に求心力を失っていった結果、出資者である兄のジョー・シアーノの判断で1977年にThe Galleryは閉店することになりました。閉店する夜には1800人もの人が来店しました。

Larry LevanとFrankie Knuckles

Nicky Siano & Larry Levan
Frankie Knuckles

ニューヨーク界隈で様々なクラブに出入りしていたLarry Levan(ラリー・レヴァン)とFrankie Knuckles(フランキー・ナックルズ)がThe Galleryに通い始めたのは、The Galleryにファッション関係や流行に敏感でヒップなお客さんが集まるようになった頃でした。

まだDJとしてのキャリアも始まっていない2人はThe Galleryに通ううちに、店を手伝い始めることになりました。風船を膨らまして店内に飾り付けたり、軽食やソフトドリンクを作ったりしながら、合間を縫って、ニッキーがどのようにDJをして、機材やサウンドシステムを使いこなすのかを勉強していました。特にラリーはニッキーと仲が良かったそうです。

ラリーとフランキーにとって、The Galleryは大きな影響を与えてもらった場所でした。2人はのちに、ラリーが「Paradise Garage」、フランキーが「Warehouse」と、伝説のクラブのレジデントDJを務め、ハウスミュージック史に名前を刻むことになりました。

The Galleryのサウンドシステム

The Galleryのサウンドシステムは、The Loftのサウンドシステムを構築して以来、ニューヨークのサウンド・スペシャリストの地位を確立していたAlex Rosner(アレックス・ロズナー)がエンジニアを務めました。

サウンドシステムの構築には基本的なセットアップだけでも5800ドルかかりましたが、The Galleryにとっては最高のサウンドシステムを手に入れることが何よりも重要でした。

アレックス・ロズナーはThe Loftと比べ部屋が大きかったため、クリプシュホーンのスピーカーは合わないと判断し、オープンした当時は、3発のAltec Lansing(アルテック・ランシング)のスピーカーを壁に埋め込みました。その後、初めて儲けが出た後に、フロアを壁で取り囲むようにして、スピーカーをもう1発足して、その四隅に置きました。

そして、3台のターンテーブルにBozakのミキサー、そして、HI・MID・LOWの音域をボリュームで調整可能なクロスオーバーを導入していました。

また、The GalleryではPAスタッフがピンクノイズを使いながらきめ細かいEQでサウンドを整えていました。これはクラブとしてはThe Galleryが初めて行ったことで、アレックス・ロズナーには「そんな調整は必要ない。」と言われましたが、ニッキーは「いや、必要だ」と返答し、結果それが良い方向に行きました。

The Galleryのサウンドは比類なきシステムとなり、クラブに訪れた人たちからは音楽が語りかけて来る場所だったと表現されています。

同時代の天才DJたち

Michael Cappello(マイケル・カッペロ)
ニューヨークのクラブ「Limelight」のレジデントDJで、フランシス・グラッソ、スティーブ・ダキストと共に70年代初頭の中心的DJの一人として知られていました。気さくで端正なルックスの人物で、Nicky Sianoが尊敬していたDJとして知られています。

David Rodriguez(デイビッド・ロドリゲス)
NYのDJで、Nicky Sianoの良き理解者でメンター的存在でした。1984年にエイズにより亡くなってしまい、ショックを受けたNicky Sianoは一時DJ活動を中断したほどでした。

Walter Gibbons(ウォルター・ギボンズ)

マンハッタンのクラブ「Galaxy 21」のレジデンスDJ。レコードを2枚使いし、ドラム部分のみを取り出し延々と繰り返すプレイがトレードマークとなっていた。ドラムブレイクの2枚使いといえば、ブロンクスのヒップホップDJ、クールハークが有名ですが、Walter Gibbonsも同時期に同じようなことをしていました。リミキサーとしても天才的な才能を発揮し、いくつもの作品を残しています。

Tee Scott(ティー・スコット)

「Better Days」のレジデントDJ。Paradise GarageにゲストDJとして呼ばれるほどの実力で、数多くのリミックス作品を残したリミキサーとしても有名。駆け出しの頃のFrankie KnucklesにBetter DaysでのレジデントDJのチャンスを与えた人物でもあります。

Richie Kaczor(リッチー・カクゾー)
「Studio 54」のレジデントDJ。一時期、Nicky Sianoが平日でStudio 54でDJをし、週末をリッチー・カクゾーが担当していたこともありました。ディスコシンガー、Gloria Gaynorの曲「I Will Survive」を最初に見出しクラブ・アンセムにしたことで有名です。

The GalleryでのNicky SianoのDJミックス音源

Nicky Siano Live at the Gallery, October 1976

Nicky Sianoプレイリスト

Booker T & the MG’s – Melting Pot

James Brown- Give It Up Or Turn It a Loose

Eddie Kendricks – Keep On Truckin

Harold Melvin & The Bluenotes – The Love I Lost

the pointer sisters – yes we can can

Ultra High Frequency – We’re On The Right Track

Double Exposure – My Love Is Free (Tom Moulton 12″ Mix)

Double Exposure – Ten Per Cent

Ecstasy, Passion & Pain – Touch & Go

Loleatta Holloway – Dreamin’

George McCrae – Rock Your Baby

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