ラテンハウス入門10選 ②

  • URLをコピーしました!

前回①に引き続き、よろしくお願いします。のっけからラテン120%なのでお気を付けください。

目次

ラテンハウス入門10選 ②

Proyecto Uno – El Tiburón(1993/Max Music)

ドミニカンアメリカン3人(デビュー時は4人)のラップグループ「Proyecto Uno(プロジェクト・ウノ)」による、ヒップハウスというかラテンハウスというかメレンハウス。

メレンゲ+ヒップホップ=メレンラップというジャンルを確立した人たちですが、メレンゲ+ハウス=メレンハウス、というのも発明したことになっています。

これどう思います? これをクラブでかける勇気のある方はいらっしゃいますか? これってハウス??? 

個人的には、本物のラティーノがラテン全開でハウスをやるとこうなってしまう、ということだと捉えています。ハウスにはハウスのTone and Mannerというか不文律があって、それを分からずBPMだけあわせると、こういうことになるのではないかと。あんまりにもラテン濃度が高すぎると、ハウスの枠から逸脱するというか。

感覚は人それぞれなので、これがアリかナシか、各自のハウス・リテラシーが試される1曲。

メレンゲは、アフリカから連れてこられた奴隷のコミュニティが農村地区ではじめた、ドミニカン・レップの音楽&ダンスです。メレンゲダンスの足の引きずるような動きは、奴隷の人々が足首に鎖を繋がれ、片足を引きずりながらサトウキビ刈りを強いられていたことに由来する、という説もあるそうで、あんな陽気な音楽にそんな暗い過去があるのかと思うとビックリです。

メレンゲはもともと2/4拍子、BPMが120~160、非常に早い200程度のものもあります。なので4/4で120~130のハウスにするには、好都合な音楽だと言えます。

現在プエルトリコで人気があるバチャータという音楽&ダンスも、ドミニカン・レップのアフリカ系の奴隷の人たちがはじめた音楽です。

Proyecto Uno – Nu Nu

↑コレなんか、オルガンがGypsy Womanにそっくりですが、うーん…、ハウス?

このプロジェクト・ウノ、EMI Latinというメジャーのラテン専門部署がラテン各国でディストリビューションし、全世界ツアーも組んで、世界中にいるスパニッシュ・スピーカーとラテン音楽ファンに宣伝した結果、大ヒットして、今も活躍中です。

この人たちが世界中でブームになり、後続アーティストもたくさん輩出していて、今はメレンハウスだけでDJができるほど曲があります。

こんな感じ↓がメレンハウスDJ Mixです。他にも同様のMixを上げている人が多く、ラティーノには定番人気のようです。聴いていると楽しくなってきて、ラテンハウスはこれでいいんじゃないかという気もしてきますが、でもやっぱり、ハウスをハウスたらしめているものがすべて抜けてるような気がしてなりません。

ラティーノが好きなラテンハウス(的なもの)と、非ラティーノが好きなラテンハウスと、相当違うのではないかという気がします。

Mix Merengue House – Dj Gastón

これはこれできちんと需要のある音楽として成立しているので、メレンハウスそのものを、どうこう言うつもりはありません。ガチハウス勢を敵に回すネーミングに問題があるだけです。

さて次↓から非ラティーノが好きなラテンハウスに戻ります。

Negrocan – Cada Vez(Grant Nelson Carnival Club Mix)(1999/Swing City)

1991年に英国ロンドンにて、ウルグアイ出身のベーシストAndres Lafoneにより結成された多国籍ラテンジャズバンドNegrocan(ニグロカン)。メンバーはヴォーカルのブラジル人Liliana Chachion、ドラムはイタリア人Davide Giovaninni、キーボードがイギリス人Neil Angilly、パーカスがチリ人Carlos Fuentes。打ち合わせの時、何語でしゃべってるんでしょう。

これは彼らの一番ヒットした曲ですが、タイトルはスペイン語で「Cada Vez(Every Time)」。オリジナルVer.はウルグアイの伝統音楽「カンドンべ」をベースに、ブラジルのパーカッションを加えたフュージョン。生音ハウスといった感じで悪くはないものの、Remixの方がよく知られているので、アルバムに収録されているオリジナルを聴いたことがある人は少ないのではないでしょうか。

プロデュースとRemixは必殺仕事人Grant Nelson(グラント・ネルソン)。『Tanto Tempo』で新世代エレクトロ・ボサノヴァと言われたBebel Gilberto(João Gilbertoの娘さん)のRemixもしていたので貼っておきます。

Bebel Gilberto – River Song(Grant Nelson Mix)

ウルグアイってどんな国か想像つかないかもしれませんが、アルゼンチンの隣にあって文化は同じです。ただし物価やレントがアルゼンチンの2~3倍で、「世界一貧乏な大統領」がいたくせに、実は南米一モダンでお金持ちな国。

「カントンべ」もやはり、奴隷として連れてこられたアフリカ系の人たちによる、モンテビデオ~ラ・プラタ一帯が発祥の音楽で、ウルグアイのカーニバルに欠かせません。ちなみにウルグアイのカーニバルは世界で一番長く、40日間だそうです。そんなに長いことお祭り気分だと、社会復帰できなさそう。

Jephté Guillaume – Ibo Lé Lé(Ginen Tèt Red)(1999/Spiritual Life Music)

ハイチ人シンガー兼プロデューサーJephté Guillaume(ジェフテ・ギヨーム)による、フルートが印象的なカリブ発ハウス。

タイトルの「Ibo Lé Lé(イボ・レレ)」の「Ibo」はアフリカの現在ナイジェリアにあたるエリアに住んでいたイボ族のこと。このイボ族の人々が奴隷としてハイチに連れて来られ、伝承してきた文化が「Vodou」、つまりブードゥー教やハイチの民間伝承、民族音楽となったそうです。

「Lé Lé」は名前で、ブードゥー教の精霊のことを指します。Osunladeもヨルバ族で神様の名前がIfáと言っていたので、ナイジェリアの人は神様にかわいらしい名前をつけるのが好きなようです。

Remix名が「Ginen Tèt Red」となっていますが、これもブードゥー教の表現で、Ginenは祖先の故郷であり精神的な故郷でもあるアフリカのこと、Tèt Redは赤い頭、組み合わせると「アフリカの伝統に強く根差した」という意味になるとのこと。

つまり「Ibo Lé Lé」(Ginen Tèt Red)で、私たちハイチ人は、ひどい奴隷制度や植民地支配にもかかわらず、アフリカからの伝統を忘れず今もその精神を受け継いでいます、抑圧には負けません、という誇りを伴った宣言だそうです。

そしてこの曲のビートやチャント(詠唱)は、本物のブードゥー教の伝統にのっとったもの。つまりこれはVodou House、ハイチ由来のブードゥーハウスです。

ハイチはカリブ海にあるので、カリビアンハウスと言えなくもないのですが、ブードゥーなのでアフロ。この曲は、ハイチのディアスポラのスピリチュアリティをダイレクトな形でハウスに託した曲、アフロハウスの系譜において、その精神的支柱を明確にしたエポックメイキングな曲だったと言えます。

この「Ibo Lé Lé」ですが、ハイチ人の母を持つプエルトリカンのRichard Morseと、その妻でハイチ人ボーカリストのLuniseを中心としたバンド「RAM」が、’93年にまったく同じタイトルの曲「Ibo Le Le(イボ・レレ)」を出しています。この曲のいきさつが、ハイチの置かれている状況を非常によく表しているので、とても長いですが、紹介させてください。

タイトルが同じだけなので、ハウスではありません。同じブードゥーの思想で作られた、生演奏の民族音楽の曲です。アメリカ向けに、一部英語になっています。

RAM – Ibo Le Le(Dreams Come True)

この曲は、’93年のジョナサン・デミ監督『フィラデルフィア』という映画のO.S.T.に収録されています。トム・ハンクス演じる白人でゲイの弁護士がエイズで発症し、会社を解雇され、その不当解雇の訴訟を、デンゼル・ワシントン演じるゲイ嫌いの黒人弁護士に依頼するという、当時タイムリーなゲイ&エイズという問題に取り組み、非常に話題になった映画です。

トム・ハンクスはこの難しい役で、初のアカデミー主演男優賞を受賞。翌年『フォレスト・ガンプ』でも同賞を受賞し、ダブルオスカー俳優としての地位を確立します。

「Ibo Le Le」は、主役の2人が訴訟に関して書類を議論したり確認したりしているシーンのBGMとして流れています。(日本語版のトレイラーがないので、裁判シーンの一部で失礼します)

監督のジョナサン・デミが、この映画でハイチの曲を使いたかったのには、理由がありました。

正体不明の病気として、エイズが大流行していた90年代初頭、アメリカ移民帰化局(INS)は、政治的暴力と貧困から逃れようとするハイチ人の亡命希望者を、海上で拿捕し、全員がHIV陽性であると想定し、遠隔地であるキューバ南東グアンタナモ湾の海軍キャンプにある施設に収容していました。政府がエイズとハイチを結びつけ、ハイチ民を公然と差別していたことで、この措置は物議を醸すことになります。

※ハイチはアメリカよりもHIV感染率が高い国だった(おそらく避妊の意識が薄く、他の国よりHIVが早く広がった)のですが、テストしたところ、実際には難民の感染率は低かったとのことです。HIV陰性の人まで陽性ということにして、みんな一緒くたに無期限でグアンタナモの施設に放り込んでいました。多い時にはこの施設に12,000人のハイチ難民がいたといいます。

ジョナサン・デミ監督は、ハイチを訪れたことのある政治活動家で、ハイチと個人的なつながりがあり、この政府の対応を公然と批判していました。そして自分の映画に、ハイチの曲を入れることを思いつきます。エイズに感染したゲイと、エイズというレッテルを貼られたハイチ難民の、保健上の危機と、深刻な差別問題を結び付け、アメリカ政府の移民政策と人種差別を批判するという、大胆な策に出ました。

ハイチ在住のバンド「RAM」の「Ibo Le Le」は、長く奴隷制度で搾取されてきたハイチ人たちの、先祖伝来の回復力、精神性や力強さを表現しており、映画における主人公の苦しみ、尊厳、そして権利のために闘うというテーマに、ぴったりと即したものでした。

結局グアンタナモの施策は、ハイチのカウンシルがINSコミッショナーに訴えを起こし、1993年6月に連邦裁判所が違憲と判断。政府に対してこの慣行を停止し、難民申請を公正かつ差別のない方法で処理するよう命じて終結します。

判決は映画公開の同年12月より前に出ているため、デミ氏の行為は、法的勝訴には直接結びついていないものの、政府対応の醜さや、制度的差別がまだ続いている現実を世間一般に知らしめる結果となりました。

その後、グアンタナモの「収容所」は閉鎖されましたが、逃げてくるハイチの難民船を海上で捕獲し、送り返すという政策は、いまだに続いています。人道支援団体は人種や国籍への差別だと主張していますが、アメリカ政府はハイチに対して非常に厳しい態度を続けており、ウクライナ人のような戦争難民とはまったく違う対応を取っています。

RAMのメンバーは1987年からハイチの首都、ポルトープランスに在住しており、この街のランドマークとして知られる「Hotel Oloffson」で30年間、毎週演奏を続けていました。しかし2025年7月、ギャングによりこのホテルが放火され、治安が悪化し安全な生活が営めなくなったため、現在はアメリカに避難して活動を続けています。

これがハイチ在住バンドRAMの「Ibo Le Le」の辿った道です。さて、ハウスの方に戻ります。

Jephté Guillaume(ジェフテ・ギヨーム)はハイチ生まれ、子供の頃にブルックリンに移住したDJ兼シンガー兼マルチ・インストゥルメント演奏者。弟さんのDuke Guillaumeもサックス奏者兼プロデューサーで、兄弟コラボの曲がいくつかあります。

ジェフテという変わった名前に聞き覚えがある人もいるかもしれません、Joe Claussell(ジョー・クラウゼル)のLife Line Recordから、ラテンハウス「Kanpe(Get Up)」やブードゥハウス「The Player」といった秀作を出していて、そちらの方が有名です。また「Rhythm Of The Rain」をスピ系ジャズハウスの名作として、記憶されている方も多いかと思います。

「Ibo Lé Lé」を聴いて「全然ラテンハウスじゃないぞ!」と思われたのも当然で、ラテンテイストは全然ありません。ブードゥーだからアフロと言われても、そこまでアフロな音でもありません。この「Ginen Tèt Red」バージョンだと歌詞がないので、アフリカっぽいかどうかも判断がつきません。

魔術的な感じのベースラインと、変な旋律のフルートが延々と入っている、いかにもジョー・クラウゼルが好きそうな曲としか言いようがない、実際はタイトルの意味やハイチの状況を知らないと理解が難しい曲、それが「Ibo Lé Lé」(Ginen Tèt Red)です。

ハイチは元フレンチ・コロニーで、フレンチ・クレオールが主要言語です。なので厳密にはラテン諸国には入りません。それほど大きくない島の左1/3がハイチで、右2/3がドミニカン・レップです。

ドミニカン・レップは貧しいながらもそれなりに発展し、現在ではカリブ諸国で最もパワフルな国ですが、ハイチはフランスによる砂糖とコーヒーの過酷なプランテーションで搾取され、フランスから独立した1804年から後もずっと苦難の連続な上に、現在進行形でどんどん情勢が悪くなる一方の、「この世の地獄」といっていい悲惨な状況です。

首都でも、まともな建物がほとんどなく、レンガを積んだ自作の掘っ建て小屋のような場所にみんな住んでいて、水道も電気もガスも電話線もありません。ジョナサン・デミは行ったことがあるとのことですが、見たら一生トラウマになる壮絶な光景です。大地震の前から、そんな有様でした。

地震後はさらに劣悪な環境になり、復興や改善の余地がまったくないままギャングが跋扈、報道関係者やNPO・NGOが逃げてしまい、2019年には国連の平和維持軍も撤退。大統領やその候補者が次々と殺されようが、ギャングが盛大にドンパチやってようが、ニュースにもなりません。

ここ数十年、大統領がコロコロ変わっていましたが、2025年末の現在、大統領すらいないそうです。2026年11月の大統領選に向けて、暫定自治政府が努力しているとのこと。実際は首都の約90%をギャングが支配していて、暫定自治政府の力は限定的。OMG…。もうこれは国ではありません。無政府状態の修羅場です。

ハイチ民というとFugeesのWyclef Jeanが有名ですが、ジェフテ・ギヨームさんもワイクリフも、ハイチ出身のミュージシャンががんばっているのは、周辺諸国どころか国際社会から完全に見放された孤立無援のハイチにとって、非常に重要なことだというのは知っておいてください。

Jephté Guillaume Presents Jean Claude Lamarre「Rhythm Of The Rain」
(1999/Life Line Record)

Afro Medusa – Pasilda(Knee Deep Mix)(2000/Azuli Records)

イギリスのダンスミュージックトリオAfro Medusa(アフロ・メデューサ)による、全米ダンスチャートNo1ヒットバンガー。

歌詞はスペイン語ですが、タイトルの「Pasilda(パシルダ)」そのものに意味はなく造語です。トリオ名がアフロ・メデューサというぐらいなので、何となくギリシャ風で神秘的なイメージで「パシルダ」なのではないでしょうか。太陽が昇ると身体と心が覚醒して「パシルダ」が生まれる、というスピリチュアルな感じのことを歌っています。

ビートとしてはアフロ・キューバンで、そこにスペイン人女性によるフラメンコスタイルのボーカルが乗るという、カリビアン・ラテンと、イベリアン・ラテンが融合した、二重の意味でラテンハウスになります。

トリオ結成は90年代後半。ラテンジャズミュージシャンとして活動していたIsabel Fructuosoがスペインからロンドンに出てきた時、すでに「Funkmasters」として活動していたNick BennettとPatrick Coleに出会い、エレクトロニックミュージックを紹介されて一緒に活動を開始。

デビューシングルがこの大ヒット作「パシルダ」とは、よっぽど3人のケミストリーが良かったようですが、それぞれ別プロジェクトなどあって、今はアフロ・メデューサとしては活動していません、残念。

Snow Boy – Casa Forte(Joe Claussell’s Spiritual Life Samba Remix)(2000/Spiritual Life Music)

ブラジルのボサノヴァシンガーEdu Lobo(エデュ・ロボ)の「Casa Forte(カーサ・フォルテ)」をSnowboyがカバー、それをJoe ClaussellがRemixしたトラック。

「Casa Forte」は直訳だと「強い家」や「安全な家」。困難な場面における希望や人間性、安全な場所の比喩として、このタイトルが使われており、Mos Def(モス・デフ)の「Casa Bey」など何度もカヴァーやサンプリングされている名曲です。

このバージョンは、サンバのビートをバックに、時折女性ヴォーカルをはさみながら、オルガンとサックスのソロを聴かせる構成で、12分と長いものの最後まで聴き飽きない名Remix。

Snowboyは本名Mark Cotgrove(マーク・コットグローブ)。70年代よりDJを始め、80年代後半からはAcid Jazzムーブメントの一役を担います。2009年、著書『From Jazz Funk & Fusion To Acid Jazz』を出版。英国屈指のコンゲーロ(コンゴ奏者)であり、また世界で最も知識豊富なジャズダンスDJと広く認められている、とのこと。

Giles Petersonと交流があるらしく、Keb DargeやNorman Jayと並ぶレコードコレクターで、約3万枚を所有。著作はディスク紹介ではなく、レビューによるとストーリー仕立ての歴史ものらしく、DJできてコンゴ叩けて文才もあるという、非常に多才なジャズマン。

Snowboyのカヴァージョンも十分ラテンハウスとして良いのですが、聴き比べると、パーカスが追加されていたり構成が変えてあって、よりドラマチックな印象になっています。

Kings Of Tomorrow feat. Haze – Dreams(Rasmus Faber Remix)(2004/Defected)

1973年Enoch Light(イノック・ライト)のジャズ・スタンダード「Caravan(キャラバン)」を使った、映画音楽みたいな仕上がりのラテンジャズハウス。有名なメインメロディをストリングスが弾いていて、合間にギターやフルート、ピアノのソロが出てきます。

Kings Of TomorrowはSandy Rivera(サンディ・リヴェラ)のハウスプロジェクト名(2002年Jay “Sinister” Sealéeが脱退)で、2000年のヒット作「Finally」が有名です。サンディ・リヴェラはNYスパニッシュハーレム生まれ。苗字も生まれもラティーノなプエルリカンですが、普段の仕事はラテン色一切なし。

オリジナルは全然ラテンではありません、これはRasmus Faber(ラスムス・フェイバー)ナイスジョブ。「キャラバン」が再解釈されて全然違う世界観になっており、きちんとJazzを勉強した人ならではというアレンジです。Remixerとして人気があるのも納得。ラティーノが作った普通のハウスを、北欧人がラテンジャズハウスにRemixというのも興味深いです。

ラスムス・フェイバーは「Ever After」↓の人。軽くラテン風味ですが、ポップス寄りの仕上がり。

Rasmus Faber feat. Emily McEwan「Ever After」(2003/Farplane)

Jerry Ropero & Denis The Menace Pres. Sabor Feat. Jaqueline – Coraçao(2004/Vendetta Records)

こちらもクラブヒットのラテンハウス。いろんなMixが出ていますが、オリジナルVer.はヴォーカル主体、ハードなリズムのトライバル・ラテンハウスVerもあります。

ヴォーカルは一部、Gloria Estefan「Oye Mi Canto」がサンプリングされていて、聞き覚えのあるメロディですが、もっと分かりやすいのはピアノで、Paul Johnson「Get Get Down」でサンプリングされているBohannonと、コードは違うものの非常に似ています。

曲中のヴォーカル「Sempre No Meu Coração」は「Always In My Heart」という意味のポルトガル語。つまりCoração(コラソン)はエスパニョールのCorazón、「心」です。サンバ風のビートに合わせて、ポルトガル語で歌っている、ブラジリアン・サンバのハウス曲ということになります。

Jerry Ropero(ジェリー・ロペロ)はアントワープ生まれのベルジャン・スパニッシュでDJ兼プロデューサー、現在はドイツのハンブルグ在住、おじいさんもお父さんもお兄さんもミュージシャンだそうです。

Denis The Menaceは本名Denis Zet(デニス・ゼット)、ベルリン出身のドイツ人ハウスDJ。この2人のコンビで数枚リリースがありますが、「コラソン」が最大のヒット作になります。

Black Eyed Peasが「Simply The Best」にて、この「コラソン」の印象的なピアノフレーズをサンプリング。ラテンマーケットに切り込むため、ブラジルの美人シンガーAnittaと、ドミニカン・デンボウの帝王El Alfaをfeat.し、狙い通りにヒットしました。

Black Eyed Peasは過去、企画モノでSergio Mendes(セルジオ・メンデス)のカヴァーアルバムを出していて、そこにはハウスの曲はないですが、後から追加で「Mas Que Nada」のM.A.W.ハウスVer.が12inchで出ています。でもそのレコード、あまり良くありません。他にもロジャー・サンチェスなど、セルメンのハウスRemixにトライしている人は多いのですが、いまいち納得いくものがありません。

セルジオ・メンデスは2024年にコロナで亡くなってしまったので、追悼に「Mas Que Nada」の次に有名な「Magalenha」のハウスバージョンを貼ります。偉大なボサノヴァ&サンバマスター、たくさんの名曲をありがとうございました。

Simon Fava & Gregor Salto feat. Sergio Mendes – Magalenha

Mijangos – Mi Gaita(Latin World Club Remix)(2018/Urabana Records)

ラテンを通り越してアフリカまで行きそうな勢いのラテンハウス。トロピカルハウスというジャンル名があるそうで、何だか美味しそうです。軽快なピアノリフの上に、コーラスのコール&レスポンス、トランペットも陽気なフレーズで、カリビアンな情景が広がります。

タイトルの「Gaita(ガイタ)」はコロンビアの伝統音楽クンビアで用いられるフルートのことで、この曲全体が、クンビア・インスパイア。2016年のヒット曲「La Luna」↓のメインで出てくる音が「Gaita」です。

「La Luna」は、アフロ・コロンビアンのレジェンド、クンビアの代名詞とも言われるTotó La Momposina(トト・ラ・モンポシナ)による「Curura」をサンプリングしたハウストラック。もちろんクンビアも、奴隷として連れてこられたアフリカの人々がつくった音楽です。

Jude & Frank Feat. Toto La Momposina – La Luna

この「ミ・ガイタ」は、コロンビアのボゴタにある「Urubana Record」というスタジオ兼レーベルの、ファーストリリースとして出ています。おそらくUrubana RecordのA&Rの方が、コロンビアの民族音楽をクラブ音楽として新しく作って出したいというので、ラティーノのトップ・ハウスプロデューサーであるMijangosさんに制作を依頼した、という流れだと思います。

Mijangosは本名Andres Mijangos(アンドレス・ミハンゴス)、メキシコ・アカプルコ出身のハウスプロデューサー兼DJ。’93年からリリースがあるベテランで、基本ディープハウスですが、スペイン語タイトルのラテンハウスも何枚か出しています。Erick Morillo(エリック・モリーリョ)のSubliminalからもリリースがあり、メキシコを代表するハウスDJだそうです。

エリック・モリーリョはNY生まれですが、両親がコロンビアーノです。幼少期にコロンビアのカルタヘナに住んでいて11歳でNJに戻るので、おそらくスペイン語が結構できたのではないかと思います。エリアにもよりますが、コロンビアでは彼の苗字は「Morillo=モリージョ」と少し濁って発音することが多いです。ほとんどアメリカ人としてアメリカで過ごしているので「モリロ」ぐらいの読みで正しいのですが、カルタヘナではモリージョさん、もしくはモリーホさん、です。

彼の年齢から察するに、当時コロンビアはゲリラ戦やカルテル戦争を避けるため、国外脱出や政治亡命する人が多かったので、その影響で出たり入ったりしているはずです。ま、エリック・モリーリョはクンビア曲と関係ないのですが。

プロデューサーのミハンゴスさんですが、メキシコとハウスが全然つながらないので、アメリカに生まれたか住んでたか、そういった経歴に違いないと思って資料を探していたら、インタビューがありました。

予想を裏切り、まったく英語できませんって感じのラティーノおじさんでした。アカプルコ生まれ、中学生の時、パーティでDJしている人を見たのがきっかけで、先輩にDJのやり方を教わったり、レコードをいっぱい持っている友達に借りたりして、高校2年生でDJデビュー。

お父さんにもらったのがDualとSonyのレコードプレーヤーで、両方ともピッチコントロールがなかったとか、大きいクラブにはUreiのMixerがあったんだけど、自分が働いていた小さいクラブのはNu Markだったとか、スリップマットの存在を知らなかったとか、普通に「DJ昔話あるある」なことを言っています。

話に出てくるクラブやDJの名前が全然わかりませんが、メキシコの地方都市でも、日本や他の国と同じように、80年代からクラブシーンがあったようです。

ただしアカプルコは、一時期はメキシコぶっちぎりNo.1観光地で、そりゃ外国人向けのクラブもいっぱいあるだろうという非常に特殊な街でした。この人、アカプルコが潤っていた時代に生まれたのが良かったのだと思います。お隣のオアハカに生まれていたらクラブなんてなかっただろうし、10年遅かったら、アカプルコはカンクンにNo.1の座を奪われて急速に衰退しているところでした。

ラテンRemixはPeppe Citarella(ペッペ・チタレッラ)という、イタリア人DJ兼プロデューサーが担当しています。彼はTony HumphriesやDJ Spen、Basement Jaxxなどと仕事しており、アフロやラテンハウスが得意なプロデューサー。

Indiaさんとコラボの「Tacalacateo」「MamaAfrica」や「Moyubba」がダンスチャート入り。2017年には自身のレーベル「Union Records」を設立し、アフロハウスやソウルフル・ハウスをリリースしています。

ラティーノが作ったコロンビアン・ラテンハウスを、ヨーロッパ人がカリビアンハウスにするという、新しいパターン。

Wakyin – Beso(Fruta Fresca)(2023/Terminal Underground)

ドミニカン・レップとプエルリコをルーツを持つ、’96年アメリカ・フロリダ生まれのChristian Rivera-Joaquin(クリスチャン・リヴェラ・ホアキン)ことWakyinによる、コロンビアのレジェンド歌手Carlos Vives(カルロス・ビべス)のヴォーカルを用いた、アフロ&ラテンハウス。Sportifyで112ミリオン回聴かれた大ヒット曲。

ヴォーカル・サンプリング元のカルロス・ビべスは、コロンビアのカリブ海沿岸の街、サンタマルタ生まれ。コロンビアの伝統音楽「バジェナート」を世界に広めた、コロンビアが誇る男性歌手です。アルバム20ミリオン枚を売り上げ、グラミー賞2回、ラテングラミー賞18回、ビルボードのラテン部門で殿堂入りを果たしたという、名実共にコロンビアNo.1のアーティスト。

現在も元気にアルバムや新曲を出しており、今年9月にはNPRのTiny Desk Concertに出演していました。

このビべスの一番有名な曲「Fruta Fresca(Fresh Fruit)」を、アフロハウスのビートに乗せたのが「Beso(Kiss)」になるので、アフロ&ラテンハウスです。

Wakyinさんは、小さい頃からメレンゲ、バチャータ、サルサを聴いて育ち、そのカリビアンの伝統的音楽を、現代のハウスやアフロハウスとシームレスに融合させることで、文化の壁を越えた音楽の橋渡しをする気鋭の新人で、今後も有望株とのこと。

名前のWakyin(ホ)ワキンですが、これは本名のJoaquinホアキンを文字で表現したもののようです。「ワキン」というよりも、WhatやWhyのように、最初ちょっと「ホ」を入れた方が発音的に正しいのではないかと思います。

プロフィールの書き方からして、おそらくドミニカンとプエルトリカンの両親だと思うのですが、この組み合わせのカップル、とても多いです。レゲトン歌手のNicky Jam、Ozuna、Arcángel、バチャータ歌手のRomero Santos、全員この組み合わせカップルを両親に持っています。最近もプエルトリカンのラテントラップのラッパーと、ドミニカンのドミニカン・デンボウ歌手が結婚しました。この二か国は非常に仲が良いです。

そしてパナマ、プエルトリコ、ドミニカンレップ、コロンビア、ベネズエラ、エクアドル、この6か国は同じ曲が流行る傾向があります。各国特有の民族音楽があり、趣味趣向に多少の差はあるものの、ざっくり言えば同じ音楽文化圏内です。各国の曲を全部ごちゃまぜに聴いているので、ホワキンさんがバジェナートを知っていても、何の疑問もありません。コロンビアーノもメレンゲやバチャータが大好きです。

「Beso」に話を戻すと、この曲はTerminal Undergrondから出ていますが、最近はUltra Recordsに所属していて、ラテンテイストながら、テックハウス寄りの、ブンブンベースなトラックのリリースが多いです。もう少し、正当派なディープハウスもお願いしたいところ。

番外編:Don Omar ft. Lucenzo – Danza Kuduro(2010/Machete)

プエルトリコの歌手Don Omar(ドン・オマール)が、ポルトガル系フランス人の歌手Lucenzo(ルチェンゾ)と一緒に、スペイン語とポルトガル語で歌った特大ヒット曲。「ラティーノ」が「スペイン語」で歌っている「BPM130四つ打ちダンストラック」です。ほら、定義上は至極真っ当なラテンハウスじゃないですか。

というのは冗談で、この曲の由来がおもしろいので、紹介させてください。

まずタイトルの「Kuduro(クドゥロ)」は、アフリカのアンゴラという国で、80年代に始まった新しい音楽&ダンスの名前です。それをルチェンゾが見つけてきて、自分の歌詞をのっけてアレンジした「Vem Dançar Kuduro」という曲ができます。フランス系アメリカ人のBig Aliの英語ラップが入っていますが、メインはポルトガル語です。

このポルトガル語+ラップの歌が、フランスを中心にヨーロッパでプチヒットします。それをプエルトリコのドン・オマールが目ざとく見つけてきて、スペイン語で歌ったのが「Danza Kuduro」(クドュロのダンス)となり、世界中で爆発的にヒットという流れになっています。

Lucenzo feat. Big Ali『Vem Dançar Kuduro』(2010/Yanis Records)

なぜルチェンゾがクドュロを知ったかというと、アンゴラがポルトガルのコロニーだったことが一因かと思われます。’75年にポルトガルから独立しますが、2000年代に入るまで内戦が続いて不安定だったということなので、ポルトガルとアンゴラ間に頻繁に行き来があり、移民や難民もいたと想像できます。

’75年独立なら、80年代にアンゴラ独自のユースカルチャーが出てきたとしてもMake Senseですが、実際はそんな美しい話ではありません。内戦の地雷で足や腕がなくなった人がいっぱいいたので、その人たちを元気づける意味で、足が折れたり腕がないようなイメージで踊る、一風変わったギクシャクしたダンスを子供たちがスラムのストリートで始めます。

同時期、スラム(といっても全国民の80%がスラム暮らしで一日2ドル以下の生活)の中で、音楽機材を持っている人がいて、アンゴラ伝統音楽のSembaと、カリビアンの伝統的カーニバル音楽であるズークやソカ、それと欧米のハウスやテクノをマッシュアップして、高速ビートの音楽を作り始めます。この音楽でダンサーが踊るようになったのが「クドュロ」です。

ズークは、グアダルーペとマルティニークという、カリブ海に浮かぶフランス領の小さな島から生まれたダンス音楽で、もちろんこちらも奴隷として連れてこられたアフリカの方々が発祥です。

現在この島々では、ズークを下敷きとして、ダンスホール由来のShatta、ソカ+ドミニカンデンボウ由来のBouyonという音楽が流行っていて、フランス語圏でありながらも、カリブ音楽最前線ここにあり、という要注意エリアです。

ここでおもしろいのが、アンゴラの人たちがクドュロを発明するのに、カリビアン音楽を参考にしているところです。カリブのカーニバル音楽はもともとアフリカから連れてこられた奴隷の人たちの音楽なので、まとめますと、

アフリカ(奴隷)→カリブ周辺(カーニバル)→アフリカ(クドュロ)→ヨーロッパ(ダンス)→プエルトリコ(レゲトン)

と、廻りまわってこの曲ができたことになります。こんなおバカっぽいお気楽な曲が、こんな壮大な歴史を背負ってるって、なんだかすごくないですか。

「Danza Kurudo(ダンサ・クドゥロ)」はメヒコからアルヘンティナまで全ラテンな国々でかかりまくり、ラティーノ誰もが歌えるぐらい有名で、その証拠にYoutubeの再生回数が軽くビリオン超えです。いまだにラジオでよく流れるので、ラティーノはよっぽどこの曲が好きらしいです。

最初の4小節はキックだけで、ハウスのように聴こえます(BPM130)。ですが、その後で裏にスネアが入ってきて、その方が大きいので、実際はキックよりスネアの方がリズム隊のメインに聴こえます。

このスネアの拍子はクドュロから来ていて、クドュロはソカをコピっていて、ソカと一緒の打ち方です。ソカは2ビートで、こんな感じのタイトなスネアが入ります。キックよりスネアの音がデカいのは、クリッピングとサチュレーションというミックスのテクを多用していて、レゲトンに顕著な手法だそうです。

実際、トリニダード人や、ソカをよく聴くベネズエラ人は、この曲をソカと認識しました。BPMとスネアがソカと同じだからです。

そしてこの曲、ラティーノの中ではレゲトンという認識です。理論上はビートがレゲエと違うのですが、BPMが早いだけで、スネアがレゲトンと同じ拍子を打つからです。レゲトンはレゲエ(シャバ・ランクスの「デンボウ」)のスネアを強調したビートで、元の「デンボウ」はそこまでスネアは大きくありません。

Daddy Yankee(ダディ・ヤンキー)の同じくビリオン超え特大ヒット曲「Limbo」もまったく同じ構成のビート(BPM125)で、ド派手なダンストラックですが、4ビートのはずが、スネアの方が強く打っているので、ハウスには聴こえません。これもラティーノの頭の中ではレゲトンです。

ラティーノが聴いて楽しい四つ打ちとは、メレンハウス以外の方向であれば、これになると思います。理論上はBPM120~130の4 On The Floorで、ハウスであってもおかしくないはずが、スネアの方がデカいというレゲトン手法によって、結局全然別モノの、いわばレゲトンハウスみたいなものになります。

あと、前に出てきましたが、コロンビアにクンビアという音楽があり、これは実際2/4拍子で強弱をつけてキックを打ち、オフビートを挟んでポリリズムを強調した、アフリカ由来のビートです。ハウスの規則的な4ビートに慣れていると、伝統的な本来のクンビアは拍がズレたように聴こえるので、「なぜそこでズレる!?」と気持ち悪いのですが、ラティーノはこのシンコペーションが好きです。ズレてるのが心地良いという感覚です。

コロンビアでは、クンビアは少数民族の古い民族音楽という感じで、ボゴタやメデジンなど内陸の都市部にいると、ほとんど聴く機会がなく、バジェナートの方がよく聴くのですが、アルゼンチンでは、非常に人気のあるクンビア・バンドがいてテレビに出ていたり、クンビア・フェスティバルがあったり、爆音でデジタルクンビアをかけて街中を走り回る車がいたりして、クンビアはとても人気があります。しかも若い子がカッコいい音楽として聴いています。

コロンビアとアルゼンチンは南米大陸の北端と南端で、非常に離れていて、歴史も文化も全然違うので、なぜ今さらアルゼンチンでクンビアなのか不明ですが、昨今はメキシコでも人気があるそうで、本家コロンビアを完全にしのいでいます。

つまりラティーノは、キック以外のパーカッションが強い、ポリリズムを強調したビートが好きです。非ラテン人がクンビアで「なぜズレる!?」と歯がゆくなるのと同じぐらいの感覚で、ラティーノはハウスを聴くとスカスカで気持ち悪く聴こえるのではないかと思います。「スネアどこいった!?」と。ビートは4回打っていても構わないものの、その裏で何かしら打っていないと、乗れない人種なんです。

以上。アフリカ由来のラテン音楽は、ハウスと非常に相性が良いものの、ラティーノがやるとラテンすぎて違うものになってしまうので、非ラティーノのハウス・プロデューサーが作った方が、ラテンハウスとして優秀な曲ができる、ということがわかったように思います。(※タンゴなど、アフリカとまったく関係ないラテン音楽もあります)

ハウスが4ビートのキック+スネア+ハイハット、時にはボーカルもメロディもないようなシンプルな引き算の音楽だとしたら、何でもかんでも重ねてポリリズムを形成するラテン音楽は足し算の音楽です。あまりにラテン要素を足すと、ハウスに聴こえなくなるので、ハウスのプロデューサーは、そのさじ加減をわかっている、というふうにも言えるかと思います。

テックハウスやEDM世代は、ラティーノのDJ兼プロデューサーも、上手にラテン風味なものを作り、ヒットしているように見受けられますが、専門外なので何とも言えません。どちらも音や構成のフォーマットがあるので、そこから逸脱するほどラテン要素を足す余地がないのかもしれません。トランペットだけ、ボンゴだけ、といった一発ネタなラテンの足し方の曲が多いように感じました。

実際、北南アメリカ大陸およびカリブに住むラティーノは、基本的に四つ打ちおよび英語の音楽がキライです。ハウス聴きません。ヒップホップも人気ありません。英語アーティストとコラボはいいのですが、あんまりやりすぎると非国民扱いです。白人音楽でも黒人音楽でもない、ラティーノが好きなのはスペイン語のラテン音楽なんだと、好みが非常にはっきりしていて、欧米や日本とはまったく違う独自の音楽文化圏を形成しています。

非ラティーノが「ラテンっぽい」と思う音楽をラティーノに聴かせても、彼らには「グリンゴ(外国人)の音楽」にしか聴こえないかもしれませんので、その点ご了承ください。

※今さらですが、サンバもボッサも厳密にはラテン音楽ではありません。ポルトガル語だからです。カリプソは英語ベースのクレオール、ズークもフランス語のクレオールなので、これもラテン音楽ではなくカリブ音楽です。サンバやボッサのハウスバージョンを、ラテンハウスとして紹介しましたが、中南米音楽の専門家からすると違うということになるので、お断りしておきます。レコードショップなどでは「ラテン音楽/ブラジル音楽/カリブ音楽」は明確に分かれています。

この記事が気に入ったら
いいね または フォローしてね!

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
目次