Juan Atkins(ホアン・アトキンス)

Juan Atkins(ホアン・アトキンス)

Juan Atkinsは、1962年生まれのアメリカ合衆国デトロイト出身のミュージシャンです。Norman Connors、Michael Henderson、Barry Whiteのようなアーティストのコンサートプロモーターを担当していた父親の影響から、幼少期から音楽を聴いて育ち、13歳でファンクバンドを組んでいてベースやギターを担当していました。

14歳の時に両親の離婚により、デトロイト郊外のBellevilleという農村に引っ越すことになりました。

Derrick May(デリック・メイ)やKevin Saunderson(ケヴィン・アンダーソン)がBellevilleの同じ学校に通っていて、3人はその町の数少ない黒人同士だったためにすぐに仲良くなりました。

Juan Atkinsが彼らに音楽的影響を与えたことにより、のちに「The Belleville Three」として知られるようになるテクノトリオが誕生しました。

The Belleville Three

Juan Atkinsは、16歳のときにElectrifying Mojo(エレクトリ・ファインモジョ)のラジオ番組で聴いたシンセサイザーの音に魅了され、すぐにアナログのシンセサイザー、KORG MS-10を購入し録音し始めました。ここからデトロイトテクノが始まったといっても過言ではありません。

Juan Atkinsが本格的にプロのミュージシャンとしての活動を始めたのは、1980年にワシュテノー・コミュニティー・カレッジ(WCC)の音楽コースで出会ったRichard Davis( リチャード・デイビス)と組んで「Cybotron(サイボトロン)」というデュオグループを結成したときからです。

Cybotron – Clear

Richard Davisは年齢が10歳くらい離れたベトナム戦争の経験者で、自分の思想を強く持った人物でした。音楽知識が豊富で、Juan Atkinsはトラック制作の方法を教えてもらっていたため、父親のような存在として尊敬していたそうです。

1984年にリリースしたシングル 「Techno City」はアメリカのみならず、ヨーロッパでも成功しました。しかし、その後、Richard Davisと方向性が異なることが原因で、1985年にCybotronでの活動は幕を閉じます。

同じ年に自身のレーベル「Metroplex」を創立し、ソロ活動を始めました。Model 500名義でリリースしたシングル「No UFOs」はデトロイトとシカゴで成功を収めます。両親がシカゴへ引っ越したため、シカゴとデトロイトを行き来していたDerrick Mayによって、「No UFOs」がFarley “Jackmaster” Funkに手渡されプレイされたことにより、シカゴで大ヒットをしました。その後はヨーロッパでもリリースされました。

Model 500 – No UFO’s

デトロイトから作り出された新しい音楽として世界に広がり始めた頃、The Face誌のインタビューを受け、記者から「この音楽とコンセプトの名前はどう呼べばいい?」と問われました。Juan Atkinsが「テクノ」と答えたことにより、新たな音楽ジャンルとして「テクノ」の名称が使われました。

Juan Atkinsは「テクノのゴッドファーザー」と呼ばれており、Derrick Mayは「デトロイト・テクノとはJuan Atkinsのことである」と語っています。

Juan Atkinsのおすすめ曲

Model 500 – Sound Of Stereo

Model 500 – Electronic

Model 500 – The Messenger

Juan Atkins – The Mission

Model 500 – Night Drive

Juan AtkinsのDJ Mix

Juan Atkins Boiler Room Detroit DJ Set

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