Basement Jaxx(ベースメント・ジャックス)
1996年のある日、レコードショップに何の説明書きもなく売り出された自主制作の12inch。ラベルは黄色、目が笑っているようなハートモチーフのイラスト。
この誰も知らなかったアーティストが、誰も聴いたことのなかったサンバ(!)のハウスでアンダーグラウンドヒットを飛ばしてから、ほんの数年でスターダムを駆け上がり、世界中のフェスティバルで大トリを飾ることになるとは、誰が予想し得たでしょうか。
ラテンやディスコ、ファンクからヨーデルまでを取り込んだ、底抜けに明るくポップなメロディラインと、それを下支えするグルーヴ重視のベースライン、そしてBig BeatsやD’n’Bの洗練を経たポリリズミックなパーカッションのアンサンブル。
一見派手で大げさなのに、エレクトロでもテクノでもなくギリギリのところでハウスミュージックとして成り立っている絶妙なバランス感覚。Basement Jaxxの曲は、一度聴いただけで覚えてしまい、何と言っても抜群に踊りやすい、誰もが「好き」と素直に言えるポジティブなエネルギーを持っています。
聴けばすぐにそれとわかる独自の音楽性がありながら、もしブリクストンの街角で2人にすれ違っても彼らとは気づかない地味なルックス。Daft Punkのように顔を隠すことなく、Fatboy Slimのように皮肉たっぷりのコメントもしない、Basement Jaxxはこれみよがしのセルフブランディングとは無縁の、優等生的に淡々と仕事をこなす職人のように見えます。それは、この2人の英国紳士のパーソナリティにフォーカスが当たることが、あまりないからかもしれません。
Felix Buxton(フェリックス・バクストン)は1970年、イギリスのミッドランド、レスターシャー州生まれ。代々続く牧師一家の息子として週2回は学校の聖歌隊で歌い、家ではモーツァルトを聴いていたといいます。厳格な家庭に育ち、テレビの音楽番組を見ることを禁じられ、自分のレコードすら持っていなかったという彼のターニングポイントとなったのは、サウスウエストのエクセター大学に進学した時、トム・ヨークという同級生と友達になったこと。
吸収力抜群のティーンエイジャーだった大学生は、すぐに世界中のエッジィな音を聴き込むようになり、やがてNYやシカゴのハウスミュージックにたどり着きます。 トムとフェリックスが並んでブースに立ちDJデビューを飾った頃、この2人が異なる道を進みながらも、共にUKを代表する音楽家になるとは、誰も想像できなかったことでしょう。
Simon Ratcliffe(サイモン・ラトクリフ)は1969年オランダ生まれ(両親ともにイギリス人ですが、父親の仕事の都合でオランダにいた時に生まれたとのこと)。
8歳でウェールズの寄宿学校に送られ、10歳からレコードを買い漁りギターを弾き始め、様々なバンドを渡り歩く日々を送っていました。彼のターニングポイントは、ある日、母親からFostex X-26マルチトラッカー(マルチトラックのカセットレコーダー)を買い与えられたこと。バンドを組まなくても24トラックのスタジオで自分だけのバンドができる、そう思ったサイモンはFostexのありとあらゆる使い方を試すことに熱中します。
ロンドンに出てきたサイモンは、FostexとBossのDigi Delayを用いてビートを作りはじめ、後にSunflower Recordを立ち上げるDylan Barnesと共に1992年 Tic Tac Toe名義でシングルを自主制作リリース。
LTJ BukemやGoldieにプレイされ、初期Jungleシーンのアンダーグラウンド・カルト作となります。その後も何枚かのホワイトレーベルD’n’Bをリリースし、サイモンはその売上でレコーディングに必要な機材を買えるようになりました。
Tic Tac Toe – 457
1993年、共通の友人を通じてフェリックスとサイモンが出会い、お互いNYやシカゴのハウスミュージックへの興味から意気投合します。
1994年ロンドン南部郊外の街ブリクストンのメキシコバー「Taco Joe’s」から月イチのクラブパーティ「Rooty」をスタート、場所を変えながら00年初頭まで続きます。また2人は、地下階にあった“音楽をジャック”するサイモンのスタジオ「Basement Jaxx」で、好きなUS産ハウスを模倣したトラック制作に明け暮れます。
2人でハウストラックを制作するうち、Walls of SoundレーベルMark Jonesの助けを借り、最初の4曲入り12inch『EP』を「Basement Jaxx」の名義でリリース。Tony HumphriesがNYのラジオ番組Hot 97でフックアップし、自主制作ながら1000枚以上を売り上げます。
もともとFostex X-26だけでトラックを制作していたサイモンは、MIDIの概念がなかなか理解できないほどアナログ作業に慣れきっており、レコーディングのために新しく便利な機材をレンタルしたり買ったとしても、Fostexで作った際の行程と音をなるべく再現するという方法で制作をしていたといいます。
Basement Jaxxの初期の音にどこかしらアナログ感や、音が強引に重なっていく印象があるのは、マルチトラッカー編集の感覚が一部源泉になっているのかもしれません。
Basement Jaxx – Don’t Stop It
1995年『EP2』リリース。A面1曲目の「Be Free」は、軽めのキックの上に徐々に展開し続けるストリングスが壮大なスケールを感じさせ、当時主流だった大箱用ハードハウスに混ぜても違和感のないトラックでクラブヒット。
また地元ブリクストンで定期的に主催していたパーティ「Rooty」にオープンマイクの時間が設けられており、多くのブラジル人が参加しブラジル音楽との接点ができたことをきっかけに、B面2曲目の「Dusk Till Dawn」はサンバが取り入れられたJazzyハウスとなっています。
Basement Jaxx – Be Free
1996年5曲入り『Summer Daze EP』自主制作リリース。「晴れ渡るロンドン・サウスウエストの音色と、灼熱の太陽輝くリオデジャネイロのグルーヴがクラッシュした」という夏のミニアルバムから、B面1曲目の「Samba Magic」がヒットします。
ブラジル人パーカッショニストAirto Moreiraの「Samba de Flora」をサンプリングした、問答無用のサンバ・ハウス・アンセム。
分厚いベースと軽快なパーカッション、疾走するピアノリフの上を限りなく伸びていくシンセ、ひと時のブレイクの後、さらに勢いを増していく群衆の声。すべての音が洪水のように押し寄せマジカルに光り輝き、カーニバルの陶酔が天から降ってくるミラクルな瞬間。「レコードラベルにハートキャラが描かれていたら迷わず買い」をすべてのハウス好きに決意させた、圧巻の1枚です。
Basement Jaxx – Samba Magic
1996年4曲入り『EP3』リリース。B面2曲目「Fly Life」が大ヒットし、97年にダンスホールトースターGlamma Kidのボーカルを加えた「Brix」Verで再リリースした時には、初の全英チャート入りを果たします。
7音のシンセ・スタブがうねりながら攻撃的に展開していくこの曲は、当時サイレン音が鳴りまくっていたフロアでも圧倒的な存在感があり、まさに耳と目が「とぶ」ように頭がクラクラする、ドラッギーでド派手なキラーチューンとして世界中を席巻しました。
この後、Fly Lifeで共演したシンガーCorinna Josephと再びコラボレーションした『Live Your Life With Me』、1997年『Sleazycheeks』『Urban Haze』の3枚を、自身のAtrantic Jaxxからリリース。
1998年、Fly Lifeの世界的ヒットでRemix版がVirginから出たことと、またDaft Punkのオープニングアクトを務めたことをきっかけに、Basement JaxxはXL Recordingとのレコード契約を獲得。メジャー進出のアルバム制作に乗り出します。
Basement Jaxx – Fly Life
1999年、初のフルアルバム『Remedy』リリース。このうちPファンクのファンクネスをハウスにブチ込んだ「Red Alert」、MC Slarta Johnによるラガボーカルの「Jump n’ Shout」、ボリバルの「Merengue」をサンプリングした「Bingo Bango」、ギターが印象的なラテンハウス「Rendez-Vu」の4曲がシングルカットされ、英国チャート4位を記録。
4曲すべてに凝ったミュージックビデオが作成され(そのうちRed AlartはUK版とUS版でまったく違うストーリーの2種のビデオが存在します)、それまで12inchのラベルでユニット名しか見たことのなかった正体不明のイギリス人2人が、キッチュでビザールなブリティッシュ・ユーモアを持つことを披露するきっかけともなりました。
Basement Jaxx – Randez Vu
2001年2ndアルバム『Rooty』リリース。
Cloud Oneの「Don’t Let the Rainbow Pass Me」をサンプリングしたディスコ賛歌「Romero」、Chic「You can’t Do It」をサンプリングしたFilter House「Jus 1 Kiss」、Gary Numanの「M.E.」と「This Wreckage」をサンプリングしUnderworld風にロックンロールする「Where’s Your Head At?」、Kenny Barronの「Fungi Mama」より軽快なジャズピアノのリフをサンプリングした「Do Your Thing」、元はジャネット・ジャクソンのために書かれたという「Get Me Off」の5曲がシングルカットされます。
このアルバム収録曲から映画サントラへの提供曲、大手企業CM曲などが抜擢され、直接アルバムを買わない層にもBasement Jaxxの音楽が聴かれるようになります。
また各ミュージックビデオも相変わらずのILLで奇妙キテレツな世界観がぶちまけられていて、Spike Jonezを起用するFatboy Slimにもまったく引け劣らない名作揃いとなっています。
その後の活躍はご存知の通り、通算6枚のアルバムと数枚のベスト盤やRemix盤、ワールドツアーや大型フェスティバルへの出演、メジャーアーティストのRemixワーク。ハウスミュージックを標榜するアーティストとしては、一番名の知れた最上位ティアに属すと言っていいはずです。
一方で、The LoftやParadise Garageからの正統派ハウスミュージックファンには色メガネで見られ、GrimeやEDMファンのGenZからは古くさい音楽に思われ、微妙な立ち位置なのも想像に難くありません。
Basement JaxxがDaft Punkになれなかった理由について、Pitchforkやガーディアン誌で執筆する音楽評論家のBen Cardew氏はこう表現しています。「Basement Jaxxは、イギリス人にはラテン的すぎ、アメリカ人にはイギリス的すぎ、アンダーグラウンドには派手すぎ、メジャーには奇抜すぎた」と。
マーケティングやヒットチャートに頓着せず、やりたいことだけやってきたイギリス人のオタクに、これほどの賛辞は考えられるでしょうか。奇抜上等、そもそもおフレンチなDaft Punkになる気などハナっからありません。
今さら有名すぎて、Basement Jaxxなんて聴く気になれないという人は多いかもしれません。でも30年前はまったく無名の新人で、まさに地下からスタートし、自主制作12inch数枚のクラブヒットからメジャーにいったものの、Daft Punkほどの大衆性もない、結局今でもハウスミュージックが好きなイギリス人オタク2人組でしかありません。
メジャーデビューが決まった頃、サイモンとフェリックスは、ダンスミュージックの閉鎖的で一義的な現状に不満を抱いていました。表面上はキラキラしているのに中身がない、フィーリングを感じられない、と。せっかく自分たちがアルバムを出すのなら、ダンスミュージックに潜む毒の解毒剤になりたい、それがタイトル『Remedy(治療薬)』に込められたアルバムのコンセプトとなりました。
チャートで1位を取ることより、ラジオでTony Humphriesがかけてくれたことの方がよっぽど嬉しい、そんな純粋なハウスミュージックへのリスペクトの気持ちが、Basement Jaxxの届けたいRemedyなのかもしれません。
もし最近聴いてる曲に飽きてきたなと思ったり、そもそも何も聴きたくない日があれば、ぜひこの解毒剤を試すことをおすすめします。ラテンすぎても派手すぎても大丈夫、ハウスミュージックは踊るために存在するんですから。
Basement Jaxxのおすすめ曲
Basement Jaxx – Red Alart(UK版)
Basement Jaxx – Red Alart(US版)
Basement Jaxx – Do Your Thing
Basement Jaxx –Where’s Your Head At?
Justin Timberlake –Like I Love You(Basement Jaxx Edit)

