Armand Van Helden(アーマンド・ヴァン・ヘルデン)
無国籍かつジャンルレスなミクスチャー感覚で、中毒性の高いトラックが90年代中期からヘヴィープレイされてきたArmand Van Helden。ハウス界のB-BOYはデビューから四半世紀を超えてなお「You don’t know me」(君は俺のことをわかってないだろ?)と、あまのじゃくなスタンスを貫き、定義不可能な異端児であり続けています。
オランダ系のファミリーネーム“Van Helden”を持つArmand Van Heldenは1970年、マサチューセッツ州ボストンに生まれました。オランダ、インドネシア、レバノン、フランスと様々なルーツがミックスする出自に加え、空軍所属の父の影響でオランダ、トルコ、イタリアの米軍基地を転々としながら、幼い頃から様々な音楽に触れる環境で育ちました。
12歳の時、近所のバスケットコートでAfrika Bambaataa「Planet Rock」を聴いたArmandは、13歳でドラムマシンを買えるだけのお金を貯め、独学でプログラミングの基礎を学びました。15歳でDJをはじめた頃には、すっかりスニーカーが大好きなヒップホップヘッズになっていたといいます。18歳で故郷ボストンに戻りコミュニティカレッジで学んでいた彼はある日、友人に誘われてウェアハウスパーティに行くことになり、そこで初めてハウスミュージックに目覚めます。
10代の頃からパーティ感覚のヒップホップに慣れ親しんでいたArmandにとって、極寒ボストンの冬、真っ暗で蒸し暑いダンスフロアを埋め尽くし、ひたすら踊り狂って汗を流す半裸の人々の姿は、狂信的なカルト集団のスピリチュアルな儀式のように見えたといいます。ずっとビートのテンポが変わらない、キックドラムが単調にリピートされるだけのつまらない音楽として片付けていたハウスミュージックが、ダンスフロアでコミュニティを形成する媒介として、クレイジーで神秘的な力を持っていることに突如気づかされた瞬間でした。
ボストンのクラブでレジデントDJを務めながら、音楽プロダクションで働いていたArmandですが、NYに拠点を移しDJの仕事を探しながら、同時に曲の売り込みをスタート。1992年、Strictly Rhythmの共同経営者でA&RのGladys Pizarro(グラディス・ピサロ)にデモをプレイする機会を得て、Nervous RecordsからDeep Creed名義で「Stay on My Mind/The Anthem」で初シングルリリースを果たします。
1st.の好評を得て翌年Strictly Rhythmへと移籍。1994年リリースした「Witch Doktor」が世界中のフロアを席巻し、一気にArmand Van Heldenの名を知らしめることになります。ドスンとマッシヴなドラムの上に、Loleatta Hollowayアカペラ「Crash Goes Love(Yell Apella)」からサンプリングしたほとんど不快なアラート音に近い叫び声、少し遠くの方で鳴り渡るサイレンの音、そしてWitch Doktorとつぶやくバリトンヴォイスが延々とループし、大箱でフロア映えするHard House Anthem。(タイトルはヒッチコック俳優David Sevilleが1958年に発表し全米No1ヒットとなったノベルティソング「Witch Doctor(魔女のお医者さん)」より)
Armand Van Helden – Witch Doktor
「Witch Doktor」の大ヒット後、Jimmy SomervilleやAce Of Baseなどポップアーティストのイージーリスニングな歌謡曲を、ハードなハウス/テクノトラックに変換しダンスフロアに送り込むRemix Workを量産することになります。1997年、英シンガーTori Amos「Professional Widow」のRemixは全英No1ヒットを記録、オリジナルは聴いたことがないのにArmandのRemixは誰もが知っているという逆転現象が起こり、ハウスミュージックのオーバーグラウンド化と共に、特にヨーロッパでの評価を高める結果となりました。
90年代後半、メジャーアーティストのRemixワークと並行して、HardheadsやFunky Shelltoesといった別名義を使い、Henry StreetやZYX Music、AV8などアンダーグラウンドレーベルから大量のサンプリング系トラックをリリースします。Chicago「Street Player」をサンプリングしたM.A.W.「The Bomb!」に代表される「Reconstructing House(再構築ハウス)」の流れは、Break BeatsヘッズのArmandが得意とするテリトリーでした。ダークでミニマルになりすぎたハードハウスとは真逆の、ソウルフルで生音も入った踊りやすい曲が多いのが特長で、後のFilter Houseの源流のひとつと言えます。
1997年の初アルバム『Sampleslayer…Enter the Meatmarket.』(FFrr/London)はレゲエ、ファンク、ラップといったサンプリングをMashUpし、自身のルーツであるヒップホップテイストを全面的に押し出す形になりました。1999年2ndアルバム『The 2 Future 4 U』リリース、シングルカットされた「You Don’t Know Me」がヒットします。ビデオに出てくる、フーディにNorth Faceのダウンベスト、ニットキャップにTimberlandのブーツをはいたArmandは、どこからどう見てもヘッズで、ハウスのDJには見えません。
Armand Van HeldenーYou Don’t Know Me
1999年からNorman Cookのレーベル「Southern Fried」に移籍、コンスタントにアルバムをリリースし、ヒットチャート入りします。特に2011年ヒップホップDJ A-TrakとのユニットDuck SauceでFools Goldよりリリースした「Barbra Streisand」は大ヒットを記録。2人の交友関係の広さがうかがえる、音楽業界屈指の有名人が大勢出演しているビデオが話題となりました。
実験的なプロダクションでBig BeatsやSpeed Garageといった進化系Break Beatsが流行る土壌を生み出しながら、時流にのったアーティストとのコラボレーションで若い世代への知名度も上がり続けるArmand Van Helden。現在では世界各国でのクラブ出演のほか、クロスオーバーな巨大野外フェスティバルでもメインアクトを務める、世界的な人気DJ/プロデューサーとなっています。
Armand Van Heldenのおすすめ曲
Tori Amos – Professional Widow(Remix)
Armand Van Helden Presents Old School Junkies – Allright
Dizzee Rascal & Armand Van Helden – Bonkers
Duck Sauce – Barbra Streisand

