Norman Cook(ノーマン・クック)

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Norman Cook(ノーマン・クック)

イギリスのダンスミュージック界を象徴するDJのひとり、Fatboy Slim(ファットボーイ・スリム)ことNorman Cook(ノーマン・クック)。彼がファットボーイ・スリムを名乗る前から、ハウスのレコードをリリースしていたことは、よく知られています。

時は90年代半ば、NYハウス全盛期、UKハウスも絶好調。そんな時期に、ノーマンはファットボーイ・スリム名義を使い始め、ハウスではなくビッグビートのDJとして世界的に有名になりました。

ハウスとは対極の、ブレイクビーツ+ロック=ビッグビート。この流行は数年のうちに消え去り、ファットボーイ・スリムという名前だけが残ります。そして今現在、彼のDJはハウスセット、ファットボーイ・スリム名義の新曲のリリースもハウストラックとなっています。

今回はハウスミュージックの視点から、ノーマン・クックをご紹介します。

Norman CookことQuentin Leo Cook(クエンティン・レオ・クック)は1963年、ロンドンの南東にある郊外の街、ブロムリー生まれ。さらに南のライギット育ち。

学生時代にパンクの洗礼を受け、パンクのファンジンを編集。週末に絵の具で髪を染め、日曜の夜にはそれを洗い流すという「隠れパンク」な日々を送ります。

レコードを集めるようになり15歳でDJデビュー。当時Quentin(クエンティン)という同名の俳優がいたため、Norman(ノーマン)と名乗るようになります。(2002年、正式にクインティンからノーマンへと改名しています)

1985年、高校生の時、友人のバンド「The Housemartins(ハウスマーティンズ)」にベーシストとして加入。UKチャートNo.1となるヒット曲「Caravan of Love」などをリリース。

The Housemartins – Happy Hour(1986)

The Housemartins「Happy Hour」(1986/Go!Discs)

ハウスマーティンズは、社会主義と反アパルトヘイトを訴える、社会的主張の強いバンド。この頃から「ポップスター」らしくないことをするポップスター、つまりアイロニックでアンチハイプなスターを意識していたと、後年、本人が語っています。

バンド解散後、イギリス南部のビーチタウン、ブライトンに転居。もう「白い」イギリスポップミュージックはやりたくないと思い、ソウルやファンク、ヒップホップといった「黒い」音楽を聴くようになります。

同時にミキシングコンソールやAtari ST、シンセサイザーなど音楽制作ツールを購入。自宅スタジオを「House of Love」と名付け、Remixワークで数枚リリース。

Eric B. & Rakim – I Know You Got Soul(Double Trouble Remix)(1988)

Eric B. & Rakim「I Know You Got Soul(Double Trouble Remix)」(1988/Cooltempo/Chrysalis)

こちらはThe Jackson 5「I Want You Back」オープニングの印象的なギターリフのほか、The Jacksons「ABC」The J.B.’s「The Grunt」からのサンプリングを追加し、UKチャートNo.5のヒット。

元のトラックからして、James Brownのバンドと撮ったBobby Byrdの「I Know You Got Soul」のほか、Syl Johnson、Funkadelicをサンプリングしていますが、このJBファンクに加えて、さらにマイケル・ジャクソンを足すという、サンプリング見本市のような曲。

Rockaway 3 – It’s Your Thing(1988)

Rockaway 3「It’s Your Thing」(1988/Urban)

こちらはThe Isley Brothers「It’s Your Thing」のコーラスやギターリフを引用、Otis Redding「Amen」、Dexter Wansel「Theme From the Planets」をサンプリングしたブレイクビーツ。

またノーマン・クック名義で自作トラックを集めたEP「Blame It On The Bassline」を初リリース。以下はBilly Bragg「Levi Stubbs’ Tears」、The Isley Brothers「Get Into Something」をサンプリング。

Norman Cook – Won’t Talk About It(1989)

Norman Cook – Won’t Talk About It(1989/Go! Disc)

初期リリースの頃から、様々なジャンルからのサンプリング、スポークンワードのインサート、アンダーグラウンドながらポップな楽曲構成、ハッピーなパーティチューンなど、後年ファットボーイ・スリムで顕著になる特徴が、すでにあらわれています。

1990年、友人4人と共にサウンドシステムのコレクティブBeats International(ビーツ・インターナショナル)を結成。人生2度めのUKチャートNo.1を記録。この頃はヒップホップやレゲエに傾向していたといいます。

Beats International – Dub Be Good To Me(1990)

Beats International「Dub Be Good To Me」(1990/Go!Beat)

同時期、ヒップホップDJ向けの「All-Star Breakbeats Volume 1」をリリース。これは世界で最もサンプリングされていると言われる、ソウル・ファンクバンドThe Winstonsの「Amen, Brother」(ドラマーはGregory C. Coleman)のドラムソロ部分をサンプリングした「Amen Break」の様々なバージョンのショーケース。Amen Breakの金字塔と言われ、US産「Ultimate Breaks and Beats」と並び、アナログ時代のバトルDJ御用達レコードでした。

’92年リリースした「Skip To My Loops」はプロ向けのサンプリングソース集。今で言うサンプルパックですが、各トラック名にBPMが明記され、デジタルサンプラー時代に対応した高品質のサンプルデータ700点が、すぐ取り込めるようCD-ROMになっており、こちらもヒップホップ・プロデューサーの間で好評を博します。

Norman Cook – Skip To My Loops(1992)

Norman Cook「Skip To My Loops」(1992/Hit Music Productions)

この頃はDJ Quentox(クウェントックス)という名義でDJ活動しており、ヒップホップやファンク、ソウルの他、レゲエ、パンク、ノーザンソウル、モータウン、アシッドハウスなどクロスオーヴァーな選曲でした。

ビーツ・インターナショナルを解散後、音楽業界への失望と、離婚による精神的ダメージにより音楽活動を一時中断。エクスタシー、アルコール、ビデオゲームの音楽制作などお金のためだけの仕事に明け暮れる鬱状態の日々で、気晴らしに、NYへと旅行することにします。

NYで行ったクラブはThe Shelter(シェルター)[1]。トライベッカのハドソン川にほど近い倉庫を改装したクラブAreaの跡地に、1991年オープンしたばかりのこのクラブは、Timmy Resisford(ティミー・レジスフォード)がレジデントDJを務めていました。

1987年にParadise Garage(パラダイス・ガラージ)がクローズし、行き場を失っていたクラブキッズたちのために、ティミーとFreddy Sanon(フレディ・サノン)が中心となって設立されたシェルターは、その名の通りパラダイス・ガラージ・ホームレスの避難所であり、週末の安息の地でした。

ノーマンは、生粋のハウスミュージック・ラヴァーたちが黙々と踊るなか、Robert Owens(ロバート・オーウェンス)の「I’ll Be Your Friend」を聴き、そのリリックと、フロアを埋め尽くすスピリチュアルな高揚感に、感銘を受けます。

1992年、フラットメイトで親友のGareth Hansome(ギャレス・ハンサム)と共同制作したハウストラックをMighty Dub Kutz(マイティ・ダブ・カッツ)名義にて、自主レーベル「Southern Fried Records」からリリース。

The Mighty Dub Cats – Super Disco Breaks Vol. 1(1992

The Mighty Dub Cats「Super Disco Breaks Vol. 1(Super Disco Bass)」(1992/Southern Fried Records)

このリリースが、ノーマン・クックの最初のハウスレコード。史上初のハウスレコードと言われるJesse Sanders(ジェシー・サンダース)の1984年リリース「On And On」をリメイクしたトラックです。

精神的に落ち込み、アイデンティティ・クライシスを迎えていた彼にとって、オーウェンスの「I’ll Be Your Friend」で受けた啓示は救いに違いなく、はじめてのハウスの曲をリメイクすることで、ハウスミュージックへの感謝の意を表現したと言えるでしょう。

MACH*の「On and On」というレコードを盗まれたため、記憶を頼りに同じ曲を自分で作ってみたのが、ジェシーの「On and On」ですが、ノーマンはMACHのオリジナルであるLipps Inc.「Funkytown」のシンセと、Rosebud「Have a Cigar」のベースをサンプリング。(*MACHの発音は日本語でマッハ、英語ではモック)

MACHの「On and On」は曲ではなく、4つのディスコ曲をReel-to-Reelで切り貼りした、フランケンシュタイン状態の「メガミックス」で、1980年にブートレグの12inchとしてプレスされています。マイアミやNYのDJではないかといった様々な説が飛び交い、名乗り出る人もおらず、いまだにMACHが誰なのか分かっていません。

ジェシーやMACHの「On and On」と、ノーマンの「Super Disco Breaks Vol.1」を聴き比べると、まったく別の曲に聴こえますが、たとえばメインメロディとなっている5連のシンセ音スタブは「Funkytown」の冒頭の有名なシンセをAkai S950で切り取り、細かくスライスし、Atari STでピッチを変えループさせたもの。元曲が素材として使われてはいるものの、ダブの「全部バラバラにして組み立て直す」方法で再構成されています。

ディレイやエコー、左右の振りなど細かいテクニックも、Lee “Scratch” Perry(リー・ペリー)やKing Tubby(キング・タビー)のダブ・ミキシングをAtari STで再現したものです。

すなわち、ヒップホップ由来のサンプリング手法+レゲエ由来のダブ手法を、ディスコに適用してハウスを作ったことになります。

また「On and On」のメロディや展開をなぞっているわけではなく、いろんな音や声が入れ替わり立ち代わりメドレーのように出てきて「ディスコ曲のメガミックス」を聴いているような感覚の構成になっています。

つまり、ノーマンのバージョンはジェシー・サンダースのリメイクではなく、MACHが天才的職人技と不屈の忍耐力でやり遂げたテープ作業を、同じネタを使ってAtari STでやってみたダブミックス(メガミックス風)です。

  • MACH「On and On」(1980)→手作業+ダビングのテープ編集(サンプラーなし)
  • Jesse Sanders「On and On」(1984)→TR-808+TB-303+4トラックテープレコーダー
  • Mighty Dub Kutz「Super Disco Break Vol.1」(1992)→Atari ST+Akai S950

MACH「On and On」(1980)

Jesse Sanders「On and On」(1984)

また、ノーマンの「Super Disco Breaks Vol.1」は’92年発売ですが、この時点でジェシーの「On and On」がハウス初のレコードだと思っていたアメリカ人はごく少数でした。0人だったかもしれません。発売元の「Import, Etc.(インポート・エトセトラ)」界隈ですら「既存レコードをパクっただけの曲」ぐらいにしか思っていなかったふしがあります。

「On and On」より前のディスコ時代から、ウェアハウスでもパラダイスガラージでも、テープエディットで独自ミックスのトラックを作って流していたので、アメリカでは誰も「どれが一番最初のハウスのレコードか」などと考えませんでした。ハウスはディスコの一形態であって、新しい音楽という意識は薄く、インターネットも専門誌もない時代、そんな疑問を提唱・検証する場もありません。

しかもFrankie Knuckles(フランキー・ナックルズ)やLarry Levan(ラリー・レヴァン)が(もちろんティミーも)、こんな粗い作りのレコードをクラブでかけることはありませんでした。ジェシーの「On and On」をクラブでかけていたのは、ジェシー本人とロン・ハーディです。

そもそも自主制作で500枚プレス、追加で1000枚プレスされただけの、非常にマイナーなレコードで、世の中に1500枚しかありません。翌年からハウスレコードがどんどんリリースされるにつれ「On and On」は忘れ去られ、ロン・ハーディはヘロイン中毒でDJできる状態ではなくなり、ジェシーはハウスを作るのをやめてLAに移住します。

なぜノーマンが「On and On」を’92年の時点で「ハウスの最初のレコード」として取り上げることができたのかというと、彼がイギリスに住んでいたからです。

イギリスでは1986年、シカゴからDJを呼んでヨーロッパツアーを開催し、レコードショップがシカゴからレコードを輸入し、BBCやKiss FMなどラジオが「シカゴから来た新しい音楽」として紹介し、FFRRなどイギリスのレーベルがシカゴのアーティストと契約しはじめます。

またフランキーのPower Plant、ロン・ハーディのMusic Box、シカゴのラジオ局WBMX等で録音されたテープがMaxellやTDKのカセットテープにダビングされ、レコードショップでこっそり売られていたり、クレートディガーの間で物々交換トレードされていました。

1987年にはフランキーがロンドン「Heaven」でプレイ。同年よりシカゴハウス+バレアリックハウス=アシッドハウスが大流行し、セカンド・サマー・オブ・ラブがスタート。ヨーロッパ各国でレイブが大ブームとなる中、Mix MagやDJ MagなどのDJ向け専門誌、Boys Ownといったクラブ・ファンジンが創刊。これはどういう音でどこの誰がやっているのかと、音楽評論家やカルチャー系ライターが詳しく解説するようになります。

つまり、アメリカ人が黙々と作ったり踊ったりしている間に、イギリス人は輸入されてくるレコードやカセットテープを頼りに、一生懸命、分析したり評論したりしていました。

レコードのリリース履歴を調べると、ジェシーの「On and On」は1984年1月にリリースされており、その他の初期ハウスレコードは1985年以降のリリースなので、書類の上では、これが一番最初ということになります。MACHの「On and On」は当時のディスコDJに人気があったためフランキーもロン・ハーディもかけており、ジェシーの「On and On」はロン・ハーディがMusic Boxでかけていたので、いずれにしても何かのテープに入っており、聴くことが可能でした。

こういった経緯で、ノーマンは「On and On」が史上初のハウスレコードだという知識を得て、’92年にリメイクするに至ります。もしかしたらノーマンは、ジェシーのレコードの1500枚のうちの1枚をゲットできたのかもしれませんし、MACHのレコードも持っていたかもしれませんが、元ネタが特定できればOKなので、両方ともレコードで持っていたという確証はありません。

実際に「On and On」が最初だと文章に書いたのは、ジェシー・サンダースにインタビューした、Mix Magのイギリス人ジャーナリスト。インタビューが雑誌に掲載されたのは’94年でした。

イギリスのレコードショップやDJの間でウワサされていた「これが最初のハウスレコードらしい」という話を、本当かどうか確かめるべく、LAに住むジェシーにわざわざ会いに行ったのですが、インタビュアーのイギリス人ジャーナリストが、ノーマンの「Super Disco Breaks Vol.1」を聴かせたところ、ジェシーは「Who is Norman Cook?」とビックリ仰天。

自分の作った曲が最初のハウスレコードだとイギリスで認識され、リメイクまでされていたことを、本人はまったく知りませんでした。

このインタビューが発端となり、ジェシー本人も自分が一番最初だと声高に言い始めます[2]が、イギリスのレイブ雑誌を読んでいるアメリカ人はごく少数で、10年前のレコードを思い出す人はいませんでした。

’99年にBill Brewster(ビル・ブリュースター)とFrank Broughton(フランク・ボロウトン)による『Last Night a DJ Saved My Life』という書籍が出版され、いよいよ「On and On」がハウスで一番最初のレコードだという認識が広がりますが、著者のふたりはイギリス人です。’94年にジェシーにインタビューしにLAに行ったのも、当時NY在住だったこのふたりのうちのどちらかでした。

つまり、ノーマンが’92年にリメイク曲をリリースした時、ほとんどの人は「On and On」を知りませんでした。「On and On」のレコードを持っていた1500人も、それが最初のハウスレコードという認識がありませんでした。

ノーマンはMACHの元ネタまで特定していますが、インターネットがない時代、クレジットのないブートのサンプリング元を探すには、記憶と実物のレコードだけが頼りです。しかもわかりやすいPlayer One「Space Invaders」のベースラインと、Donna Summer「Bad Girls」の「Toot-Toot, hey, Beep-Beep」は使わないというひねくれぶり。

「史上初のハウスレコードをリメイク」というよりも「リメイクした曲が後に史上初のハウスレコードに認定された」という順番が正しく、当時忘れ去られていたレア盤を発掘し、つたない弾き直しをしたジェシーに替わって上手に組み立て直したという表現の方が妥当。いかにノーマンが勉強家で、ディスコやハウスをよく研究しており、古いレコードを買い漁っていたかがわかります。

ちなみに「Super Disco Breaks Vol. 1」には「Vol.2」がありません。1979年にスタートしたPaul Winley Recordsの「Super Disco Breaks Vol.1~6」というコンピレーションLPシリーズと同じタイトルで、Paul Winley(ポール・ウィンリー)にリスペクトを捧げています

このコンピはヒップホップDJ用に、JBなどのブレイクのある曲を勝手に編集してプレスしたもの。初期ヒップホップの発展に大きく寄与したものの、アーティストに許可をまったく取っていなかったため、George Bensonに訴えられて敗訴し、シリーズは6で終了。まだ著作権に関して牧歌的だった時代のイリーガル「サンプル集」で、現在は販売禁止となっています。

つまり、単にディスコっぽいタイトルではなく、このサンプリング文化を広めてくれた違法コンピを名指しで称賛するために「Vol.1」をつけています。ヒップホップ用フリーサンプル素材を700個もコツコツ作っていたノーマンからしてみれば、ポール・ウィンリーは神に違いありません。

Mighty Dub Kutzはこの後もコンスタントにリリースを続けますが、このソウル/ファンク/ディスコのサンプリング&ループ手法は、MAWの「Moonshine」や「The Bomb!」、Johnny “D” DeMairo(ジョニー・D・ディマイロ)のHenry St.、Rob Mello(ロブ・メロ)のAzuli Records等に代表されるリコンストラクティング・ハウス、さらにはフィルターハウスに先駆けたものです。

1993年、友人ふたりとアシッド・ジャズ・バンドFreak Power(フリークパワー)を結成。ファーストシングルがヒット。ほぼ同時期、友人John Reid(ジョン・レイド)と共に、ハウスデュオPizzaman(ピザマン)をスタート。

Freak Power – Turn On, Tune In, Cop Out(1993)

Freak Power「Turn On, Tune In, Cop Out」(1993/4th & Broadway)

Pizzaman – Baby Loop(1993)

Pizzaman「Baby Loop」(1993/Loaded Records)

ノーマン・クック名義はIslandとの契約があったため、それ以外の会社からのリリースはすべて別名義で行うことになります。フリークアウトの方は、バンド内での居心地の悪さを感じ後年脱退。一週間に2~3曲というハイペースでハウス/テクノのトラックを制作し、リリースします。

1994年、初のファットボーイ・スリム名義「Santa Cruz」をリリース。このレコードは800枚しか売れなかったものの、すでに人気のあったChemical Brothers(当時はDust Brothers)がプレイしていたとのこと。

Fatboy Slim – Santa Cruz(1994)

Fatboy Slim「Santa Cruz」(1994/Southern Fried Records)

1995年、ノーマンとギャレス(Mighty Dub Kutzの相方)が共同ファウンダーで「The Big Beat Boutique(ビッグビート・ブティック)」というイベントを、The Concorde(コンコルド)というブライトンのナイトクラブでスタート。

ギャレスの思い描いていた当初のコンセプトは、ドレスコードやルールを取り払い、「アシッドハウスのスピリット」をブライトンの明るく陽気な雰囲気で伝えていくというもので、これがジャンル名「Big Beat(ビッグビート)」の由来とイメージ。

後にノーマンは「パラダイス・ガラージの音がガラージと呼ばれ、ウェアハウスの音がハウスと呼ばれたのと同じように、ビッグビート・ブティックの音がビッグビートと呼ばれるようになったことに、地域的・文化的な誇りを持っている、と語っています。

実際のビッグビート・サウンドは、ブレイクビーツを基本として、アシッドハウスに由来するRoland TB-303のライン、テクノに由来するヘヴィなベース、ファンクやソウル、ロックのサンプリング、パンクスタイルのヴォーカルや、ヒップホップテイストのスポークンワードで構成されており、これまでノーマンが歩んできた音楽変遷の集大成とも言えます。

1995年、ギャレスはレーベル「Skint」を立ち上げますが、ノーマンのサザンがハウス、ギャレスのスキントはビッグビートと、音で分けていました。後にスキントはDark GarageやBassline、Dubstepと名付けられることになるエクスペリメンタルなトラックを続々リリースするようになります。

この後、ファットボーイ・スリム名義で「Everybody Needs A 303」や「Going Out Of My Head」のヒットをきっかけに、ビッグビート全盛期を代表する多数のシングル・アルバムをリリース。Spike Jonez(スパイク・ジョーンズ)によるPVも好評で、国際的な知名度を得ます。

ロックバンドやポップス歌手と並んで、DJとして世界中のスタディアム・クラスの会場でプレイするようになりますが、当時ファットボーイ・スリム名義のDJはビッグビートとハウスをかけており、非常にロック要素の濃いスタイルでした。

2000年、Fatboy Slim名義の3rdアルバム『Halfway Between the Gutter and the Stars』には、2曲、ハウスのトラックが収録されています。

Fatboy Slim – Song For Shelter(2000)

Fatboy Slim「Song For Shelter」(2000/Skint)

こちらはもちろんNYのクラブ、シェルターをトリビュートしたトラックで、Roland Clark(ローランド・クラーク)の「I Get Deep」のヴォ―カル(スポークンワード)を使用。

「Up in The Booth at The Dread Man Spinnin’(ブースでドレッドヘアの男がDJしている)」というリリックは、ティミー・レジスフォードを指しており、ノーマンが1991年のシェルターで見たり感じたことを、ローランドが言葉で表現しているのに、すぐ気づいたに違いありません。

もう一曲の「Star 69」も同じ「I Get Deep」から「They Don’t Know What is What~」という部分をサンプリングし、使用。

「I Get Deep」のテストプレスのレコードを聴いたノーマンが、個人的にローランドに電話して使用許諾を取り、オリジナルの正規リリースから間髪入れずに、リリースしています。

Roland Clark – I Get Deep(Shelter Mix)(2000)

Roland Clark「I Get Deep(Shelter Mix)」(2000/Shelter)

2002年「ビッグビート・ブティック」はクラブからブライトンビーチでの野外イベントへと拡大、大成功を収めます。ビッグビート・ブティックは、今年2026年7月にも第7回として4年ぶりに復活し、3日間のビーチフェスとして開催予定、チケットは昨年11月の発売開始後、数時間で完売しています。

2003年リリースの4thアルバム『Palookaville』の頃、ビッグビートシーンは終焉を迎えます。2004年からの2年間はイビザのSpace Ibizaにてレジデント。この頃から、ファットボーイ・スリム名義のDJからビッグビートが消え、ハイテンションのハウスをかけるようになります。

Youtubeが2005年にスタートしてからは積極的にDJ Mixを配信し、ファットボーイ・スリム=ハウスDJという認識が広がります。現在も、有名大型フェスやクラブ出演、YoutubeでのDJ Mixはテックを含めたハウスセットです。

つまり、もともとビッグビート用だったファットボーイ・スリムという名義ですが、その名前で世界的に有名になったため、そのままステージネームとして使うようになり、現在はハウスのリリースも同名義を使っています。

2012年にはロンドン・オリンピックのクロージング・セレモニーのパフォーマーとしてDJ出演し、大ヒット曲「Right Here, Right Now」「Rocafeller Skank」を披露。こちらは2曲ともビッグビートで、ハウスではありません。

「The Rockafeller Skank」(1998)のフック「Right About Now, The Funk Soul Brother / Check It Out Now, The Funk Soul Brother」は、Lord Finesseの「Vinyl Dog Vibe」(1997)からサンプリング。曲は地味なブーンバップですが、曲が始まる前に本人がMCしている部分を抜き出し、ヴォイス・マッピングしています。

この曲に使われているサンプリングソースは、Lord Finesse以外にもサーフロックやノーザンソウルなどあわせて8曲以上。RakimのRemixの頃からのサンプリング主体の制作方法は、ビッグビートでも変わっていません。

2026年1月に公開されたインタビューでは、今現在でも楽曲制作にはAtari ST+C-Lab Creator/Notator(ドイツ産MIDIシーケンスソフトで、開発者が後にLogicを作っています)を使っていると言っていました(DJ時はPowerBook)。メーカーが消滅しており修理も困難なため、2000年頃、中古Atari ST6台とモニターを買い占めたそうです。Atari STシリーズは生産が1985~86年限定なので、40年前に作られたヴィンテージ・コンピューターを使っていることになります。

ファットボーイ・スリムという名前の由来について、本人は「いろんな嘘の話をでっち上げてきて、今となってはどれが本当の話だったか思い出せない」と言っています。一番信憑性が高いのは、ギャレスと酔っぱらって話していた時、ノートに名前の候補をつらつら書き出し、翌日素面で見てみたらファットボーイ・スリムが一番良かったという話。

Memphis SlimやPinetop Slimと呼ばれた実在のブルーズマンを参考に「〇〇スリム」にしたかったようですが、これはラッパーが名前に「Lil」や「Young」をつけるのと同じ感覚で、1920~50年代、ブルーズシンガーの間で「Slim」をつけるのがカッコいい、という風潮があったことから来ているもの。

そもそも大した理由もなく名付けたけれど、アイロニックでグーフィでおもしろいし、自分らしくて気に入っているとのこと。PizzamanやMighty Dub Kutzも同じく、酔っぱらってテキトーに名付けただけに違いありません。レゲエ好きのイギリス人ふたりがピザを食べながら曲を作っていたからピザマン。

そして変名を使うことが「これは真剣な仕事じゃない。誰か他の人のフリをしているんだから、気軽に楽しもう」と公表しているようなもの、と言っています。

レーベル「Southern Fried」も、もともとはノーマン名義のシリアスな仕事ではない、「Stupid(ふざけた)」なトラックをリリースするのに作ったレーベル。不敵な笑みを浮かべたカートゥーンの家(ハウス)のレーベルロゴも、かわいらしいというよりは憎らしいキャラ。

ロックもジャズもヒップホップもハウスもビッグビートも全部変名の、いわばお遊びプロジェクト。言っていることも、やっていることも、全部がふざけていて、おちゃらけている、派手なハワイアンシャツを着たパーティ・アニマル、それがノーマン・クックのペルソナ。

しかし、ほとんど誰も知らなかったハウス史上初リリースの「On and On」をリメイクしたり、実際に体験した伝説のクラブ「シェルター」をトリビュートしたりと、ハウスミュージックという音楽への愛は隠しようがなく、知識面やスピリット面での理解度は非常に深いと言えます。

また、名義や曲タイトルの候補リストや、制作テーマのメモなどを書いたノートを、30年も保管してあることからすると、実は非常にマメで几帳面な性格と考えられます[3]

その真剣さをカヴァーアップするようにふざけているのは、ユーモア&ペーソスの血が流れるイギリス人気質と共に、マジメに追及しても袋小路に陥るだけという過去の精神的トラウマから来ているのかもしれません。

シリアスにハウスの昔のレコードを調べたところで、所詮ディスコの下手なリメイクが起点になっているのなら、自分がもっと上手にリメイクそのものをパロディ化してみたらおもしろんじゃないか?(どうせ変名だし…) ―ふたつの「On and On」に潜むオリジナリティとサンプリングのディレンマを、いともあっさりジョークとクリエイティビティで覆すノーマンは、頭の中のスイッチをOn/Offに切り替えることで、自分の中のバランスを保ち、40年間、音楽を作り続けてきました。

シカゴやNYからのプロップスはあまり聞かないものの、本当はハウスミュージックへの知識と愛があり、ディスコ・サンプリングのオリジネイターでもあるノーマン・クック。世界を飛び回るスーパースターDJのひな形であり、DJという存在をメジャーレベルで浸透させた実績も無視できません。

ハウスファンの間では好き嫌いの分かれる人ではありますが、その功績と人気度、DJの親しみやすさは、過去のハウスミュージックにつきまとうアンダーグラウンド感を突き破る、突破口であったに違いありません。

[1] Ashley Beedle(アシュレー・ビードル)もほぼ同じ時期にNYに行っていますが、Sound Factoryに行きフランキーに会っています。ノーマンが行った時は、SFはフランキーからJunior Vasquezに替わっていたので、まだオープンしたてのShelterに行ったものと思われます。またSFは白人ストレートは入りづらい雰囲気があったので、もしSFにまだフランキーがいたとしても、ノーマンの場合はShelterを選ぶ可能性が高いです。いずれにしても二人とも「Right Place, Right Timeでその後の人生を変えるような経験ができたと言って良いのではないでしょうか。

[2]’94年のMix Magのインタビューをきっかけに、ジェシー本人が自作自演の一大キャンペーンを展開した結果、「On and Onが一番最初のハウスレコード」というのが定説となりました。再評価が進んで「On and On」は2003年に再発、2013年にも再発、2019年にはアルバムも再発されました。もうこれで十分だと思われますので、いかにも自分がハウスという音楽をゼロから作ったかのような誇大宣伝はやめていただきたいところです。

[3] 2025年、過去のノートや写真、収集してきたスマイルマークグッズなどをまとめたビジュアルブック『It Ain’t Over… ‘Til the Fatboy Sings』が発売されました。

ノーマン・クックのハウス曲

Chemistry – Let Love Rule(1994)

Chemistry「Let Love Rule」(1994/Four Thumb Broadway)

The Feelgood Factor ‎– The Fonk Train(Electric Mix)(1994)

The Feelgood Factor 「The Fonk Train(Electric Mix)」(1994/Southern Fried Records)

Mighty Dub Kutz – Just Another Groove(1995)

Mighty Dub Kutz「Just Another Groove」(1995/Southern Fried Records)

Mighty Dub Kutz – Magic Carpet Ride(1995)

Mighty Dub Kutz「Magic Carpet Ride」(1995/Southern Fried Records)

Mighty Dub Kutz – Guaguanco(1995)

Mighty Dub Kutz「Guaguanco」(1995/Southern Fried Records)

Pizzaman – Happiness(1995)

Pizzaman「Happiness」(1995/Loaded Records)

Pizzaman – Hello Honky Tonks(1995)

Pizzaman「Hello Honky Tonks」(1995/Loaded Records)

Cheeky Boys – Sedukted(1995)

Cheeky Boys「Sedukted」(1995/white-label)

The Feelgood Factor – The Whole Church Should Get Drunk(1995)

The Feelgood Factor「The Whole Church Should Get Drunk」(1995/Southern Fried Records)

X-Press2 feat. David Byrne – Lazy(Norman Cook Dub)(2002)

X-Press2 feat. David Byrne「Lazy(Norman Cook Dub)」(2002/Skint)

Fatboy Slim – Role Model(2024)

Fatboy Slim「Role Model」(2024/Southern Fried Records)※サザンの500枚目記念曲

Fatboy Slim & Daniel Steinberg – Bus Stop Please(2024)

Fatboy Slim & Daniel Steinberg「Bus Stop Please」(2024/Southern Fried Records)

ノーマン・クックのDJ

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