Nicky Siano(ニッキー・シアーノ)

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Nicky Siano(ニッキー・シアーノ)

Nicky Sianoは1955年ニューヨーク州ブルックリンにて生まれました。15歳になると音楽を聴きに外へ出掛けるようになり、音楽スポットの開拓を始めました。

兄の彼女に連れて行ってもらったDavid Mancusoの「The Loft」で深く感動したNicky Sianoは土曜は毎週欠かさず通うようになり、自身もDJになりたいと思いました。

1971年、16歳の時、ガールフレンドのRobin Lordの口利きによって、The Round TableというクラブでDJとしてのキャリアをスタートさせると、その後、1973年2月に兄のJoe Sianoに資金援助を頼み、自分たちのクラブ「The Gallery」をマンハッタンにオープンさせました。The Galleryの内装やサウンド、コンセプトなどは「The Loft」に強い影響を受けていました。

The GalleryのオープンはThe Loftが休業するタイミングだったため、The Loftの客が流れてきて、すぐに大盛況となり、Nicky Sianoをニューヨークでトップの座に押し上げると同時に、クラブカルチャーが伝説的な地位を獲得することに貢献しました。

Nicky Sianoは3台のターンテーブルを使いプレイした最初のDJと言われていて、その後のDJのプレイスタイルを塗り替えたと言われています。

Nicky Sianoが影響を受けたDJとして、David Mancuso以外に、Michael Cappello(マイケル・カッペロ)、David Rodriguez(デイビッド・ロドリゲス)、そしてRichie Kaczor(リッチー・カクゾー)の名前を挙げています。

当時、Larry LevanやFrankie KnucklesもThe Galleryでスタッフとして働いており、デコレーション用の風船を膨らませたり、飲み物を用意したりしていました。

1977年にSteve Rubell(スティーブ・ルベル)とIan Schrager(イアン・シュレーガー)が「Studio 54」をオープンした当時、Nicky SianoにレジデントDJとしてプレイすることをオファーしました。4か月後にドラッグの過剰摂取を理由に解雇されましたが、本当の解雇理由はStudio 54が要求するコマーシャルなディスコソングをプレイせず、自分の信念に沿った曲をプレイし続けたためと言われています。

The Gallery・Studio54の他にもNYの名だたるクラブでDJプレイを精力的に行いつつも、1977年にスタジオワークをスタートさせました。最初にリリースしたアーサー・ラッセルとの共同作品「Kiss Me Again」はSire Recordsからリリースされ累計30万枚以上のヒットを記録しました。

Dinosaur – Kiss Me Again

しかし、80年代は多くの友人をエイズで失い、パーティをする気持ちが失せてしまったため、シーンから遠ざかり、Nicky Sianoは表舞台から姿を消して精神的につらい時期を過ごす事となりました。

その後、1998年に「Body & Soul」で復活した後は、精力的にDJプレイを続けており、2011年10月にはStudio54の一夜限りの復活パーティーが行われ、1970年代のディスコサウンドを一晩中プレイしました。

2014年にはThe Galleryのドキュメンタリーフィルム「Love Is The Message」の監督を務め、貴重な映像作品を作り出しました。

Larry Levan、Frankie Knuckles、Loleatta Holloway、Grace Jonesなどのレジェンドたちに道を示しながら、その後のディスコシーンの礎を作り上げたNicky Sianoはまさにレジェンドと言われる存在でしょう。

Nicky Sianoのおすすめ曲

Felix – Tiger Stripes

Nicky Siano – Move

Nicky SianoのDJ Mix

NICKY SIANO (LEGEND) – GRACE OF GOD – LIVE @ RHONDA 12.12.09

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