Armando(アルマンド)
シカゴ・アシッドハウスシーンにおける最重要アーティストの一人がArmando Gallop(アルマンド・ギャロップ)で、もし、1990年代のシカゴに住んでいたとしたら、彼のサウンドから逃れることは出来なかったでしょう。
Armando Gallop(1970年2月12日- 1996年12月17日)は、アメリカのハウスミュージックプロデューサーであり、アシッドハウスの発展に深く貢献したDJです。
シカゴでアフリカ系キューバ人の両親のもとに生まれ、幼少期は野球選手として活躍していましたが、脊髄髄膜炎が原因で野球のキャリアを諦めることになりました。その後、Armandoはダンスミュージックに興味を持ち始めました。16歳でDJプレイをスタートさせ、17歳でラジオ局でプレイをするまでに成長していました。
Armandoは非常に温和な性格で、「いつも笑顔で、今まで彼が怒っているのを見たことがない」とTerry Hunterが語っています。
そんなArmandoの元には、Terry Hunter、Bam Bam、Mike Dunnなどたくさんの音楽仲間が集まっていました。バーの地下室に設置されていた彼のスタジオで、ドラムマシン、テープデッキ、オープンリールなどの機材を持ち寄り、音楽制作が行われていたそうです。
ArmandoとMike Dunnは1988年に”Musique Records”と”Warehouse Records”を設立しました。”Warehouse Records”からArmandoのシングル 「Land of Confusion」「151」「100% of Disin You」などをリリースしました。
Armando – Land of Confusion
Armando – 151
「Land of Confusion」は、シカゴだけでなくイギリスでも海を渡りクラブヒットとなり、初期のアシッドハウスシーンに大きな」影響を与えました。
1992年から1994年までArmandoはシカゴの有名クラブ「Warehouse」でレジデントDJを務めました。それと同時にFelix da Housecatによるレーベル「Radikal Fear label」のA&Rも務めていました。
1996年には最初で唯一のソロアルバム「One World One Future」のリリース直後、白血病でこの世を去りました。たった26年と言う短い人生の生でArmandoはクラブミュージックにとって驚異的な遺産を世の中に残しています。
その影響はTerry Hunter、Paul Johnson、Mike Dunn等名だたるアーティストに影響を与えました。中でもTerry Hunterには「Armandoがいなければ、Terry Hunterは存在しなかったでしょう。」とまで言わせるほど、非常に影響力の大きい存在でした。
シカゴハウスを愛する人々の記憶から決して消えることなく、Armandoが残した作品は現在まで生き続けています。
Armandoのおすすめ曲
Armando – Transaxual
Armando – Worldbeat