アフロハウス入門 ❹ アフロハウス2

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アフロハウスとは、80年代から始まったアフロ・ディープハウスと、2000年代から始まった南アフリカ産ハウス(およびそのフォロワー)を指します。他にも間違いやすいアフロビート、アフロビーツ、アマピアノ、アフロ・テックハウスを解説。

DJでアフロハウスをかける前に、知っておきたいアフロミュージックの歴史を時系列で総まとめ。ハウスに限らず、ワールドワイドで人気のアフロ系がわかる12回連載です。

アフロハウス入門 [目次] ※順次公開予定です
❶アフロビート1 ジェームス・ブラウンとナイジェリア
❷アフロビート2 カメルーン、ガーナ、マリ、南アフリカ
❸アフロハウス1 80年代のアフロ・ディープハウス
❹アフロハウス2 90年代以降のアフロ・ディープハウス
❺アフロハウス3 アフロ・ディープハウス代表曲30選
❻アフロハウス4 南アフリカ共和国のアフロハウス
❼アフロハウス5 南アフリカ共和国アフロハウスのフォロワー
❽アフロハウス6 南アフリカに影響を与えたハウス3曲
❾アフロビーツ   ナイジェリアのポップミュージック
❿アマピアノ    南アフリカのアマピアノと3ステップ
⓫アフロテック1 テックハウスとアフロテックの歴史
⓬アフロテック2 アフロテックのヒット曲
目次

アフロハウス入門 ❹ アフロハウス2

➂ Instant House – Awade(Ah-Wa-Day)Raw Shelter Mix(1992)

Instant House「Awade」Raw Shelter Mix(1992/Jungle Sound Record)

Joe Claussell(ジョー・クラウゼル)、Stan Hatzakis(スタン・ハザキス)、Tony Confusione(トニー・コンフュジョーネ)の3人組「Instant House(インスタント・ハウス)」によるアフロ・ディープハウス「Awade」。

スタン・ハザキスは、ギリシャ移民のセカンド・ジェネレーションで、クイーンズのアストリア出身。

移民街のアストリアで、様々な音楽を聴いて育ち、1987年にマンハッタン・イーストヴィレッジにレコードショップ「Dance Tracks Record」(ダンス・トラックス・レコード)をオープン。

ちょうどハウスが人気を博しはじめた頃にオープンしたこのお店は、フランキー・ナックルズ、ラリー・レヴァンといったトップDJが通う、アンダーグラウンドなダンス音楽のレコードが世界で最も揃っている店として、オープンしてすぐ大盛況となります。

このお店の一番の常連だったのが、昼間はウォール街で金融の仕事、夜はDJをしていたイタリア系のトニー・コンフュジョーネでした。

トニーのロングアイランドにあるホーム・スタジオで、スタンとトニーはハウスの曲を作り始めます。

そして、お店のもう一人の常連に、ジョー・クラウゼルがいました。ジョーは当時、Downstairs Records(ダウンステアーズ・レコーズ)というレコードショップで働きながら、レストランのウェイターなどをしてレコード代を稼いでいる若いプエルトリカンでした。

ジョーは幼い頃からパーカッションをしていて、プロの楽団に参加したこともあるほどの腕前でしたが、クラブカルチャーの洗礼を受け、ハウスミュージックのDJを志し、時々パートタイムDJとしてクラブに出演していました。

そこでスタンは、ジョーをダンス・トラックスの店員として雇い入れ、インストア DJとして、お客さんに曲を紹介する役を与えます。お店にソファを置き、良いスピーカーを入れ、ラウンジのような雰囲気にして、DJたちがゆっくりとレコードを試聴したり、集える場にしました。

このサイトを見ている人の中には、お店でジョー・クラウゼルにコーヒーを淹れてもらったという方もいるのではないでしょうか。今では有名DJですが、当時はレコード屋で働いているフレンドリーなお兄さんといった感じでした。

そしてスタンとトニーはある日、ジョーをスタジオに誘います。2人の作ったトラックに、ジョーはパーカッションの色どりを添えることができました。

ジョーはパーカス、トニーはキーボード、スタンはサンプリングの分担。この人種も能力もバラバラの3人が「インスタント・ハウス」を結成します。

’91年、ホワイトレーベルにて6曲入り「Dance Tracks EP」をリリース。

この中に「Raw Africa(ロウ・アフリカ)」というトラックがあり、フルートやパーカッションなど、ジョー・クラウゼルに特有の「スピリチュアル・サウンド」の萌芽が見てとれます。

Instant House – Raw Africa(Dance Tracks EP収録)

‘92年、セカンドリリース「Over」をJungle Sounds Records(ジャングル・サウンズ・レコーズ)より発表。こちらはスタンが作曲した、男性ヴォーカル入りのクラシックなディープハウス。

そして同年のサードシングルが「Awade(アワデイ)」です。「Ah-Wa-Day」の表記はヨルバ語の正しい発音を示していて「私たちは到着した」という意味。

ジョーはディアスポラの末裔であるプエルトリカンとして、ヨルバ族に代表される西アフリカを「母なる地」と考え、その言葉やリズムに深い親和性を抱いており、そこから創作のインスピレーションを得ているといいます。

ジョーの言う「スピリチュアル」とは、内面の精神世界や、音楽が与える癒しのことであり、特定の宗教を指しているわけではありません。

実際にIfaの司祭であるOsunlade(オスンラデ)とは立場が違うので、ジョーの場合はより普遍的な意味で捉えるべきでしょう。

「Raw Shelter Mix」はジョー・クラウゼルによるRemixですが、NYで人気だったクラブShelter(シェルター)の名前がタイトルに入っています。これはシェルターのレジデント、Timmy Regisford(ティミー・レジスフォード)が好んでかけていた、スピリチュアルでソウルフルな長尺トラックを「Shelter Mix」と名付けるのが、当時流行っていたためです。

ホーンのようなシンセサイザーが印象的なこのバージョンは、もちろんシェルターでかかり、このレコードをヒットへと導きました。

この「アワデイ」の成功により、アフロ・ディープハウスは次第に広まり、各プロデューサーが発表するようになります。

インスタント・ハウスは、’93年に4枚目「Lost Horizon」をリリース。

アフロ・ラテンテイストのディープハウスですが、雷や雨の音をフィールド・レコーディングした音を加え、より幻影的でシネマティックな構成になっています。このオーガニックな自然の音は、ジョー独自のサウンドアイコンとして、その後も多用されます。

「Lost Horizon」の直後、スタンは家族とのプライヴェートな時間にフォーカスするため、レコードショップやインスタント・ハウスの仕事を辞めることにし、ジョーとStefan Prescott(ステファン・プレスコット)にダンス・トラックスを譲ります。

ステファンは、マンキューソのThe Loftでダンサーをしていたアメリカ人で、ハウスミュージックを草創期から知り、またビジネスやマネジメントの経験があるという、まさに、お店の経営にうってつけの人物でした。

ジョー・クラウゼルは’96年、レーベル「Spiritual Life Music(スピリチュアル・ライフ・ミュージック)」、’05年に「Sacred Rhythm Music(セイクリッド・リズム・ミュージック)」をスタート。

どちらもディープ・ハウス専門ですが、特にジョー自らプロデュースやRemixをする曲は、アフロ・ディープハウスが多いのが特長です。

④ Jerome Sydenham & Dennis Ferrer ‎– Timbuktu(Âme Main Mix)(2006)

Jerome Sydenham & Dennis Ferrer「Timbuktu(Âme Main Mix)」(2006/Ibadan Records)

Jerome Sydenham(ジェローム・シデナム)は、ナイジェリアのイバダン生まれ。幼少の頃からハイライフやアフロビートを聴いて育ちます。

特に、Fela Kuti(フェラ・クティ)の「フェラ・アンド・アフリカ70」をアフリカ・シュライン(アフリカの聖堂)にてライブ体験し、強烈なアフロビートに衝撃を受けたといいます。(詳しくはアフロハウス入門 ❶ アフロビートを参照)

ティーンエイジャーの時に学業のためイギリスへ移り、80年代にはアメリカNYへと移住。

NYはまさにディスコからクラブへの過渡期。ディスコ、ハウス、ヒップホップ、テクノと、あらゆるジャンルの音楽を聴き、クラブにDJ出演するようになります。

DJをしながらも、メジャーレーベルであるAtlantic Record(アトランティック)とEast West(イースト・ウエスト)でA&Rの経験を積み、En Vogue(エン・ヴォーグ)やSimply Red(シンプリー・レッド)、Snow(スノウ)の「Informer(インフォーマー)」など計17枚のシングルやアルバムを、ゴールドディスク、プラチナディスクへと導きます。

またそこで、後のコラボレーターとなるKerri Chandler(ケリー・チャンドラー)、 Dennis Ferrer(デニス・フェラー)、joe claussell(ジョー・クラウゼル)などと出会い、交流を深めます。

1995年、レーベル「Ibadan Records(イバダン・レコーズ)」を設立。

イバダンは彼の生まれ故郷であり、またヨルバ語の「Eba Odan」に由来し、サバンナの端や、草原のそば、という意味にあたります。古代ヨルバランド時代から政治的に重要な街であり、現在もナイジェリアで三番めに大きな都市です。

レーベルのモットーは「より質の高い音楽体験」。

ハウス、ジャズファンク、テクノ、R&Bなど、ジャンルを問わず高品質な音楽、「イバダン・サウンド」を作るという理念に基づいていると、シデナム氏は述べています。

レーベルロゴは、ナイジェリアの人々、特にヨルバ族から神聖視されている、鹿のような美しい動物であるアンテロープの角を抽象化したデザインで、知性、若さ、そしてダンスにおける俊敏さを象徴しています。

最初のロゴは、その起源を強調するためにナイジェリア国旗と同じ緑色のストライプを使用していました。

初期には、Ten City(テンシティ)とKerri Chandler(ケリー・チャンドラー)のリリースが多かったのですが、レコードラベルに印刷された緑色のマークを覚えている方も多いのではないでしょうか。

アフロ・ディープハウスも早い時期からリリースがあり、ジョー・クラウゼルの「Je Ka Jo」「Git Wa」「Escravos De Jo」、デニス・フェラーとの共作「Kò Kò」、Slam Mode「Obyah」、Iramo「Tierra Mia」、アフロビートの「Gbedu Resurrection」といったリリースもあります。

表題の曲名となっている「Timbuktu(ティンブクトゥ)」は、マリ共和国にある有名な歴史都市の名前で、現在ではその遺跡が世界遺産になっています。

マリ王国とソンガイ王国の時代、この砂漠の民トゥアレグ族の街、ティンブクトゥは、西アフリカの主要な交易拠点であり、またイスラムの学問と文化の中心地でした。

神秘的で、古代アフリカを連想させるタイトルを持つこの曲は、汎アフリカン・ミュージックのテイストと、エレクトロニックなハウスサウンドを融合させた、記念碑的な作品となりました。

共同プロデュースに名を連ねるデニス・フェラーは、NY生まれのDJ兼プロデューサー。90年代、Damon WilberとMorphというテクノデュオを組み、アシッドテクノのトラックをリリース。

その後、ハウスに転向し、ケリー・チャンドラーとレーベル「Sfere」を設立。ふたり共作のトラックを多数発表。

ソロとしてもDefected、King St.、Strictlyなどからコンスタントにディープハウスをリリース。2008年の「Hey Hey」が大ヒット。現在はテックハウスのDJ兼プロデューサーとして活躍中です。

「ティンプクトウ」のメインMixは、ドイツの人気プロデューサーデュオÂme(アーム/フランス語でSOULの意)が手掛け、2000年代後半のロングランヒットとなり、アフロ・ディープハウスの古典として、今でもフロアで人気のある曲となっています。

イバダン・レコーズは2008年、NYからドイツのベルリンに拠点を移し、現在もリリースを継続中。またリリースのジャンルがテクノまで広がったことで、現在のレーベルロゴは深い赤色に変わっています。

解説は以上です。もう一人、アフロ・ディープハウスの代表的プロデューサーOsunlade(オスンラデ)については、Legend DJにて詳しく紹介していますので、そちらもご覧ください。

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