Todd Edwards(トッド・エドワーズ)
元祖マイクロ・チョップ・ヴォーカルがスピードガラージ誕生のきっかけのひとつとなり、アメリカ人ながらイギリスで大人気のTodd Edwards(トッド・エドワーズ)。
100ピース以上のサンプルを組み上げ、絶妙なリズム感で構成される独自のトラックは、いまだに誰もマネできない唯一無二のテイストながら、実はあまりDJがお上手ではないという、本当の意味での「お宅」プロデューサー。
今回は、マザコンひきこもりオタクが、世界的トッププロデューサーになるまでのお話。
1972年、ニュージャージー州ニューアークの郊外、ブルームフィールドに、Todd Edward Imperatrice(トッド・エドワード・インペラトリス)は生まれました。
イタリア系移民のカトリック家系。お母さんは典型的なイタリアのマンマとして、7年生(中学1年)になるまで専業主婦としてトッドを育てます。
祖父はギタリストとして活躍していた音楽の先生、叔父もプロのドラマー、お父さんは成功したセールスマンながら音楽が大好きというファミリー。
幼い頃から音楽に興味を示していたトッドを、両親は伝統的なピアノ・レッスンに通わせます。
単調なコード、何回も弾かせられる譜面、厳しい先生。日々淡々とこなす退屈なレッスンで、彼は基本の音楽理論を身に着けます。
もともと内気だった少年は、学校や同級生になじめず、えも言われぬ不安を抱える憂鬱な日々。
部屋に閉じこもっては悶々と悩むうちに、彼は「聖書の教えの通りに生きていけば、この暗闇から抜け出せる」と信じ、敬虔なキリスト教徒としての道を歩みはじめます。
教会に通い、聖歌を歌い、祈ることに精神的平穏を見出すトッドでしたが、中学・高校と進んでも、対人的恐怖が払拭できません。
心配した両親は見かねて、彼のために貯金していた大学入学費用をすべて使い、彼に最初に入門編のシンセサイザーとキーボードを買い与えます。
新しい遊び道具ができた彼は、さらにひきこもりになり、何となくポップソングのようなものを作るようになります。
ある日、14歳からDJをしていた地元友達の‘Filthy’ Rich Criso(フィルシー・リッチ・クリソ)が遊びに来て、新しいレコードを聴かせてくれました。
彼がハマっていたのは、当時ニュージャージーで一大旋風となっていた、ハウス・ミュージック。
The Jungle Brothers(ジャングル・ブラザーズ)の「I’ll House You」とTodd Terry(トッド・テリー)の「Can You Party」を聴かせてもらい、彼はこのメロディの一部をラジオで聴いたことがあるのを思い出します。
Marshall Jefferson(マーシャル・ジェファーソン)の「Move Your Body」。
当時サンプリングという言葉すら知らなかったトッドは、このハウス・ミュージックに興味を持ち、フィルシーにいろんなレコードやラジオのDJ Mixを片っ端からダビングしてもらいます。
自分でもラジオKISS 98.7のTony Humphries(トニー・ハンフリーズ)やKenny Carpenter(ケニー・カーペンター)、107.5 WBLSのJohn Robinson(ジョン・ロビンソン)をエアチェック。ハウスの楽曲構成を解析しようと試みます。
「ハウスはシンプルなループでできている。これなら、僕にも作れるかもしれない」
1990年、18歳になったトッドは、地元ニューアークのクラブZanzibar(ザンジバル)に意を決して行ってみます。
本来なら21歳以上の入場制限。3歳もごまかして、ひきこもり人生における最大の冒険に出たものの、あまりのディープで熱狂的なフロアの空気にどうしても馴染めず、さらに2回目に行った時には駐車場に停めてあった自分の車がレッカー移動されて大ショック。
車は1週間後に戻ってきたものの「クラブなんか大嫌いだ!やっぱり家の外に出るのは教会に行く時だけにする」と固く心に誓うことに。トニー・ハンフリーズのおかげで、さらに強固なひきこもりになってしまいました。
転機が訪れたのは、1992年。知人の紹介で依頼されたRemix仕事。
Marisha Jones – Come To Me(1992)
この曲は正規リリ-スされなかったものの、エンジニアを担当していたJames Bratton(ジェイムス・ブラットン)と知り合い、彼の運営するレーベル「111 East Records」からファースト・リリースのチャンスを得ます。
すでにスネアがかなりズレており、MPCのスウィング・セッティングを変えて作っていたことが聴き取れます。
また2分半ごろから、Marisha Jones(マリシャ・ジョーンズ)のヴォーカルが切り取られ、細かくチョップされて、別のメロディとして構成されています。
The Todd Edwards Project – Jump(Todd’s Original Mix)(1992)
これが最初のリリース。主に右から聴こえてくるスネアがスウィング。ヴォーカルの入れ方はトッド・テリー風、ピアノの入れ方はケニー・ドープ風。好きなプロデューサーのプログラミングをマネしていました。
またこの曲の「Liquid Mix」のベースは、当時のNYやNZにはなかった太さで、ジェイムス・ブラットンがイギリスのアシッドハウスやレイヴ・シーンに影響を受け、トッドに示唆していたことが聴き取れます。
「Liquid」という言葉遣いも、イギリスのジャングルやDnBシーンから使われ出した言葉。
この後、リリースを重ねながら、彼は他人のマネではない、自分の音とは何かを追及するようになります。
デトロイトのMK(マーク・キンチェン)のヴォーカル・サンプリングの使い方を気に入っていた彼は、それをマネしてみようと試みますが、彼のマシンは初心者向けのエントリー機種。
メモリーが足りないので、1小節も1フレーズもサンプリングが保存できません。
そこで、1小節や1フレーズではなく、言葉の最初の「ア」や「オ」、またはブレス音やアタック音だけを一瞬の短いサンプル(マイクロ・サンプル)として切り取り、それをサンプラーの各パッドに敷き詰め、まるで鍵盤楽器のように叩いて、新しいメロディラインをゼロから再構築する方法を編み出します。
Todd Edwards – Saved My Life(1995)
地元ニュージャージーのインディ・レーベルから出したこのトラックが、Pete Tong(ピート・トン)のFFRRにライセンスされ、イギリスで発売。
この頃、当時流行のハッピーハードコアやジャングルに合わせて、USハウスのレコードを最大+8のBPM130超えでかけるのがロンドンで流行り始めており、DJ EZがこの曲をピッチアップしてプレイ。
元から最大限にスネアやハイハットがクオンタイズされているトッドのオリジナルは、高速化されてさらにバンピーなグルーヴを生み、そのハネたビートの隙間に差し込まれるヴォイス・サンプルのパズルは、もう何を言っているのかわからない状態で、まるでマリンバやカウベルのようにリズムと一体化。
さらに浮遊するローズとギター、トランペットのコードがジャジーな雰囲気を生み出しています。
このあまりにも独特なトラックが、ロンドンのアンダーグラウンドなクラブとパイレーツ・ラジオで大ヒット。
またピート・トンの企画により、UK盤はGrant Nelson(グラント・ネルソン)、Joey Musaphia(ジョーイ・ムサフィア)、DJ SneakのRemixが収録された豪華2枚組。
特にグラントは、元ジャングルDJのJamie Sylvester(ジェイミー・シルヴェスター)と共に、Atari+Cubaseでそのスウィングビートを強調したシャッフルビートを発明、スピード・ガラージと2Stepを発展させることになります。
前年、米Nervousからリリ-スされた「Todd Edwards presents The Sample Choir – The Praise(God In His Hand)(1994) 」とあわせ、トッド・エドワーズの名前は、303や909推しのシカゴでも、ソウルフルなものが好まれるNYでもなく、BPM速めのレイヴシーンが拡大し続けるロンドンおよびヨーロッパで有名になっていきます。
God In His HandとSaved My Life、ハウスの4 on the floorに、こっそりとクリスチャニティを忍ばせていた彼に、イギリスでついたあだ名は「Todd The God(トッド神)」。
まるでコックニースラングを思わせる韻踏みニックネームですが、まさかロンドンっ子たちは、彼が教会に行く時以外は家から出ない、クラブが大キライなひきこもりのオタクだとは知る由もありませんでした。
ニュージャージーの自宅で、自分のレコードをLil Louis(リル・ルイス)がかけてくれたらいいな、と夢想にふけっていた彼は、ある日、NYのレコード店から奇妙な電話を受け取ります。
イギリスから来たバイヤーが、お前のレコードを根こそぎ全部買って行ったので、在庫がなくなったと。あちこちのディストリビューターからそんな苦情を言われ、自分でレコードをプレスしているわけでもないオタク青年は困りました。
そのうち、ロンドンのMinistry of SoundやTradeに出演して帰ってきたNYのDJたちから、パイレーツラジオの録音テープをもらいます。
そこに流れていたのは、超高速にピッチアップされた自分の曲。大好きなMAWやMKとミックスされて、BPM130というNYではありえないスピードのビートが、ハイテンションでかかっています。
インターネットがない時代、ラジオ放送はエリア限定。他の国のクラブやラジオでどんな音楽が流行っているかなど、直接行った人にしかわかりません。
彼はイギリスのラジオ放送の録音テープを聴き進むにつれ、自分のマネをしたトラックが増えていることに気づきます。
後年のインタビューでは「自分のベッドルームで、メモリが足りないからという理由だけで編み出したあの細切れのサンプリング手法が、ロンドンでは『UKガラージ』というまったく新しいジャンルのフォーマットになっていて、何十人ものフォロワーが同じような曲を作っていた。あれは本当に奇妙で、非現実的な体験だった 」と語っています。
またカセットテープと共に届くロンドンのクラブの噂話の中で、トッドは「ロンドンのアンダーグラウンドに潜伏している、天才的な黒人の英国人DJに違いない」と本気で噂されていたと言われます。
この話を聞いたトッドは、自宅の部屋で苦笑いするしかありませんでした。イタリア系アメリカ白人のひきこもりマザコンが、なぜジャマイカ系イギリス黒人のジャングリストに間違われるのか。
この頃、イギリスからRemix依頼が入りはじめ、ミニストリー、Ultra、Azuliなど有名レーベルから国際電話がかかってくるようになります。
特にフランスのジャズハウス先駆者St Germain(サンジェルマン)「Alabama Blues」のVocal MixやDub Mixがヒット。彼の最高傑作のひとつと言われています。
St Germain – Alabama Blues(Todd Edwards Vocal Mix)(1995)
このRemixに衝撃を受け、サンプリングとフィルターを多用したディスコ・ハウスを作りはじめたのが、Thomas Bangalter(トマ・バンガルデル)とGuy-Manuel de Homem-Christo(ギ=マニュエル・ド・オメン=クリスト)のフランス人ふたり。
ロックバンドなどで個々に活動していたふたりはエレクトロに転向し、1997年アルバム『Homework』にてデビュー、ヘルメットをかぶった覆面ユニットの名はDaft Punk(ダフトパンク)。
このアルバムの「Teachers」という曲で、トッドを「先生」と呼びリスペクトを表明していた二人は、次のアルバム『Discovery』にてトッドに共演依頼。フランスに来てほしいと頼みます。
飛行機恐怖症をガマンし、人生初パスポート、初飛行機、初海外旅行、初パリ。トッドはNJからマイクロ・サンプルのデータを大量に持って行きますが、初めて会ったダフトパンクのふたりに、声がいいから歌ってほしいと言われます。
高校の時に地声をからかわれたことのある対人恐怖症のひきこもりは躊躇しますが、いつもと違うスタジオ環境で、ふたりも優しかったので、嫌々ながら歌うことにしました。
そして「Face to Face」が出来上がります。
Daft Punk – Face to Face(2001)
ダフトパンクの大成功と共に、トッドの名も世界中のポップ・ミュージックファンに知れわたることとなりますが、おもしろくなかったのがイギリス人。
90年代からUKGの神様と呼び、散々出演依頼をしてきたにも関わらず無下に断られ続けた挙句、フランス人に先を越されるとは何たる恥辱。
イギリスのプロモーターは大枚を積み「なぜフランスは良くてイギリスはダメなのだ」と電話でけしかけ、トッドに来英を迫ります。
ダフトパンクの成功に多少は気を良くしていたものの、やっぱり家から一歩も出たくない彼でしたが、ゴリ押しの説得を渋々承諾。
いつ落ちるかハラハラして、生きた心地のしなかった飛行機に、もう一回乗らないといけません。しかもDJ出演の依頼。クラブがキライな彼は、人前でDJしたことがありません。
自宅の地下室で選曲を考え抜き、一生懸命DJの練習をしたものの、まったく自信がありませんでした。
2002年12月末、とうとう大キライな飛行機に乗り大西洋を越え、ヒースローに到着。そこにはセレブのお出迎えよろしく、イギリスのプロモーターたちがワクワクして待っていました。
90年代、正体不明の天才的カリブ系黒人プロデューサーらしいという噂のまま神格化され、GoldieやCleveland Watkissのようなタフ・ルードボーイと勝手にイメージされていたトッド神は、実はガチガチに緊張し、ほとんど青白くなってレコードバッグを抱きかかえ到着ゲートからヨロヨロ出てきた、背が低くてぽっちゃり体型、ベイビーフェイスのコケイジャン。
プロモーターたちは「えっ?白人のガキかよ?」と絶句します。
車に押し込めホテルに連れて行かれ、とうとう2003年1月1日元旦の夜、ロンドン郊外ロムフォードのクラブ「Time & Envy」のNew Yearパーティに出演。
この時のホストDJは、トッドのレコードをロンドンで一番最初にかけたと自称し、もちろんトッドの大ファンであるDJ EZ。
UKG勃興期からクラブとラジオで活躍し、カリスマ的存在となっていたEZは、ターンテーブル3台とCDJを駆使し、ジャングルからハードコアテクノ、スピードガラージ、2Step、ベースラインまで、BPM130~150でエフェクトやフェーダーカットを交えながらミックスし、一分未満で曲が変わり続ける超絶技巧派。
BPM124のピッチを合わせるのが精一杯のDJ初心者トッドが、テクニックでかなうワケがありません。
トッドは、この日のために作った、黒いTシャツを着ます。胸には「Jesus Loves UK Garage」 の文字。うまくいきますようにと神様に願掛けし、自らを奮い立たせるための戦闘服のつもりです。
そして1曲め、この日のために考え抜いて作った、カーペンターズの「Maybe It’s You」から、自身のトラック「Wishing I Were Home 」へとドラマティックにつながっていくオリジナル・アセテート盤(ダブプレート) に針を落とした瞬間、トッド神を見に来た1500人のフロアの熱気は、一気に沸点へと達しました。
「うおおおーーーーーっ!」
ここでMCはマイクを掴み、ミキサーのボリュームを下げて叫びます。「Hold up! Who wants the reload?! Inside the ride, give me the rewind!(ちょっと待て、リロードが欲しい奴はいるか?!ライドの中で、リワインドをくれ!」。
突然のことにトッドは頭の中が真っ白。えっ、まだ1曲目のイントロですよ??
イギリスのクラブやパイレーツラジオでは、かかっている曲が良くて盛り上がった時、こうやってMCが一度止めて、DJがレコードをシュルシュルと逆回転で巻き戻し、その曲を最初からもう一度かけなおして、さらに大爆発させることを「リロード」や「リワインド」と言い、DJへの最大の賛辞とされていました。
しかし、アメリカにそんな文化はありません。MCもいませんし、プレイ中に音楽が止まることはダンスフロアに対する最大の侮辱、DJが最もやってはいけないタブーです。
そもそもアメリカのクラブにすら出演したことのないトッドは、イギリスのリワインドなど知る由がありません。
MCが叫んだ途端、トッドはパニックになり、凍りついて、脳は完全ショート。テクニクス1210を見下ろし、針を戻して最初からかけ直したり、レコードを逆回転するかわりに、手を伸ばして一番手前の四角いパワーボタンを押してしまいます。ソレじゃない…。
“Whhhhiiiiiiiinnnnnnneeeee…… “
「キュルキュルキュルーッ (逆回転の音)、Boom Boom Bap!!!!」で大爆発する予定だったフロアで、無残にも電源が切られたターンテーブル上のレコードの回転は遅くなり続け、断末魔の叫び声が引いていくように、ゆっくりと音が止まりました。しーん…。
人生終わった、はやくジャージーに帰って、お母さんと教会に行くんだ。もうクラブなんか来ないし、DJもやらない。と、トッドは顔面蒼白、茫然自失。
前座を盛り上げていたDJ EZは、トッドがパ二クっていることに気がついて、パワーを入れ直し、ボリュームフェーダーを上げ、レコードをキュルキュル左に回して最初からやり直し。
MCもたくみにフォローし、何事もなかったかのように盛大に「リワインド」されて、フロアは活気を取り戻します。
そこからはトッドも正気に戻り、何回も練習してきた通りにプレイ。
お客さんは10年間、ダフトパンクともつるむ業界大物インサイダーの匿名プロジェクトだと思っていた「トッド・エドワーズ」が、単に好きな音楽を作っているだけの素人くさいアメリカ人のお兄ちゃんだったことを知り、ブーイングではなく、大合唱で応えます。
メモリーが足りないために、切り刻んだボーカルをつなぎ合わせ、言葉の意味を成さなくなっているメロディを、1500人のお客さんが完璧に覚えて歌っていることに、トッドはビックリします。
自分がベッドルームで作ったハウスを、これほどまでに愛してくれる人が目の前にいる—。その圧倒的な愛と熱気に激しく感激し、彼はボロボロと涙を流しながら、人生初のDJプレイを終えました。
イギリスまで来てよかった。HOUSE and LONDON Saved My Life。神様、お客さん、ありがとう。
1曲目から「Wishing I Were Home」をかけ「こんな場所にいたくない、今すぐ家に帰りたい」と盛大にアピールしていたにも関わらず、最後にはロンドっ子の愛情にメロメロになってしまった、不謹慎なひきこもり。
このような形で、あやうく大惨事となるところだったDJデビューは、DJ EZの神対応とお客さんのリスペクトに支えられて大成功。
この事件は一夜にしてロンドン中に知れ渡ることとなりますが、実は最も話題となったのが、トッドが着ていた「あのTシャツ」についてでした。
自宅のベッドルームで自らデザインし、アイロンプリントで手作りした1枚の黒いTシャツ 。
ちょっと恥ずかしいような、うれしいような思い出と共に、トッドはロンドン公演記念品として自宅のクローゼットにしまい込みましたが、このデザインがアンダーグラウンドで爆発的なバイラルヒット。
インターネットの掲示板やロンドンのストリート・マーケットで「Jesus Loves UK Garage」の文字をコピーした非公式の偽物Tシャツが大量に作られ、ゲリラ的に販売され始めます。
かつて本人のスウィング・ビートとマイクロ・サンプルがコピーされ大量のフォロワーを生んだように、今回は本人がデザインして着ていたTシャツがコピーされ、クラブやフェスに行くと、その偽物Tシャツを着て2Stepで踊る若者が100人単位で溢れかえっている状況に。
2003年以降、DJ EZらと交流を深め、ヨーロッパ公演を断続的に行っていたトッドは、そのブートTシャツブームに気づいていましたが、どうすることもできませんでした。
状況が劇的に変わったのは、その熱狂的なブームが一度落ち着き、どこか懐かしい伝説として語り継がれていた2019年。
Defectedがトッドの初期音源を買い取り、デジタル化して再発することになった際、マーチ部門が、あのロムフォードの夜から続く伝説のTシャツを復活させるプロジェクトを同時に立ち上げます。
トッド本人の完全監修、当時彼が手作りしたフォントやレイアウトを忠実に再現した初の「オフィシャル・アイテム」として、Defected Store限定で公式Tシャツおよびフーディーがリリース。
発売されるや否や、90年代からのファン、DisclosureやSammy Virjiといった新世代UKGアーティスト、そしてロンドンのファッショニスタが一斉に飛びつき即完売。一時は入手困難なプレミアアイテムとなりました。
現在でも定番デザインとしてDefectedで販売されており、いわばオールドスクーラーにおけるRUN D.M.C.Tシャツ、SK8ERやヘヴィメタ好きにおけるTHRASHER Tシャツ、UKGファンなら1枚持っていて当然の扱い。「オレは昔から聴いていて、にわかリスナーではないのだ」の証明書。


こうして、服などどうでもいいひきこもりのくせに、ファッション・デザイナーデビューしたトッドですが、時間を少し戻して2011年。
ダフトパンクから電話がかかってきます。新作を作っているから、ロスまで来てほしいとのこと。
伝統ある名門スタジオHenson Recording Studios(スタジオB)でトマとギ=マニュエルからオリエンを受けたところ、今回はイーグルスのような、70~80年代のさわやかアメリカ西海岸をテーマにしたいと言われ、トッドは躊躇します。
東の人にとって西は別世界。人間も風景もまったく違い、特にNYやニューイングランドの極寒に耐えるローカルは、サンタモニカやハリウッドの開放的な雰囲気がキライなことでよく知られています。
しかも、ひきこもりの運動音痴に、サーファー音楽をやれとはこれいかに。
しかし、ダフトパンクが用意した生ギター、生ベース、生ドラムのトラックに、ハウスにはない生のヴァイブスを感じたトッドは、オリジナルの歌詞を書き下ろすことにします。
「Making me feel like I’m 17(まるで17歳に戻ったかのような気分にさせてくれる)」
クラブが大キライになる前の、17歳の頃を思い出し、
「Familiar faces I’ve ever seen / Living the gold and the silver dream(一度も会ったことがないはずの、見馴染みのある顔たち/金と銀の夢を生きている)」
顔を見たことがないのに、ロンドンで歌ってくれたお客さんと、金と銀のヘルメットを被ったフランス人はサイコーだとプロップスを贈り、
「I’ll just keep playing back / These fragments of time(俺はただ、何度も何度も再生し続けるんだ。この素晴らしい時間の断片を)」
かつてお母さんとMPCとしか会話できず「音の断片」をつなぎあわせていたオタクが、今や「人生の美しい思い出の断片」を脳内で何度もリプレイしながら、友人に囲まれて幸福に生きていることを宣言。
Daft Punk feat. Todd Edwards – Fragments of Time(2013)
そしてこのレコーディング中のある日、彼はジャージーのお母さんに電話します。
「お母さん、僕、ロサンゼルスに移住するよ」
電話越しに、トッドのあまりにも穏やかで幸福に満ちた声を聞いたお母さんは、こう答えました。
「行きなさい、トッド。ニュージャージーには、もうあなたを引き止めるものは何もないわ。あなたがいなくなると寂しくなるけれど、あなたがこのまま部屋に留まり続けるのを見るほうが、もっと心が痛むから。」
翌2014年1月26日、第56回グラミー賞の授賞式。ダフトパンクの『Random Access Memories』は、見事 Album of the Year(最優秀アルバム賞)を獲得。
ステージには白いタキシードを着たトマとギ=マニュエル、その隣には誇らしげに微笑むトッド・エドワーズの姿がありました。

現在、世界的に大流行中のUKGの元祖のひとつが、実はDJ経験のないアメリカ人青年の手で、メモリ不足のエントリーマシンによって作られたというのは、興味深い話です。
そして幼少期からピアノを習い、非常に緻密なプログラミングができるのに、自分の作った曲同士ですらまともなDJ Mixができないという謎。どうしたらこんなにピッチがあわないのか不思議です。
また、クラブを教会に例えるのとは別次元で、クリスチャニティとハウスが本人の中でむすびついているという意味でも、めずらしい例。
ハウスを作る行為そのものが、彼のひきこもり人生を救済し「信じる者は救われる」が現実になりました。
今もカリフォルニアの太陽の下、毎週日曜礼拝に通い、飛行機に乗る前には十字を切っているに違いないトッド・エドワーズ。彼のダブを聴く時には「白人のガキかよ?」事件@ヒースローを思い出して、こっそり笑ってやってください。
グラミーの大舞台に立った彼は、今や何も恥ずかしいと感じることはなく、下手なDJで笑顔を振りまき、それがガチレイバーを大喜びさせているのですから、多少笑っても神様が許してくれることでしょう。
※2025年2月、シンガーソングライターのMichael Horganさんと婚約を発表。出会いは2014年のグラミー賞とのこと。どこまでもハウスに人生を救われているトッドさん、ご婚約おめでとうございます!
Todd Edwardsのオススメ曲
Todd Edwards – F.O.T.(1994)
Todd Edwards – Never Far From You(Todd’s Original)(1998)
Craig David – What’s Your Flava?(Todd’s Underground Flava Vocal Remix)(2007)
Roy Davis Jr. – I Have A Vision(Todd Edwards Enlighten mix)(2009)
Matthew Dear – Slowdance(Todd Edwards Remix)(2011)
Todd EdwordsのオススメDJ


