UK Garage ep.1(UKガラージ特集1)
ハウスミュージックから発展した、イギリス生まれのジャンル、UKガラージ(スピードガラージ/2ステップ/ベースライン)。そこから変異したダブステップとグライム。現在リバイバル中のUKガラージを中心に、歴史と代表曲を3回に分けて紹介します。
パラダイス・ガラージで流れていたラヴリーなハウスが、ディアスポラのストラグルをラップするハードコアなグライムになるまでの、ストーリー・オブ・ブリット・アンダーグラウンド。
- ① ミニストリー・オブ・サウンド|Ministry of Sound
- ② スピードガラージ|Speed Garage US
- ➂ UK産スピードガラージ|Speed Garage UK
- ④ 2ステップ|2step
- ⑤ UKGアーティストの登場|Rise of UKG Artists
- ⑥ ベースライン|Bassline
- ⑦ ダークガラージ|Dark Garage
- ⑧ ダブステップ|Dub Step
- ⑨ グライム|Grime
- ⑩ 現在進行形のUKG|NUKG
① ミニストリー・オブ・サウンド|Ministry of Sound

1991年9月、テムズ川を超えたサザーク・エリア、人影まばらな場所にオープンした「Ministry of Sound(ミニストリー・オブ・サウンド)」。
80年代後半、NYでDJをしていたJustin Berkmann(ジャスティン・バークマン)が帰国し、「ロンドンのParadise Garage(パラダイス・ガラージ)」を作るという目標を掲げ、ふたりのビジネスパートナーと共にオープンさせた大型ナイトクラブです。
彼は、クラブで一番大事なのはサウンドシステムと決心し、元バス車庫の廃墟を改装。50万ポンドをかけてサウンドシステムを構築。近隣住民に迷惑をかけず、フロア内で110〜115デシベルの大音量を鳴らせるよう、さらに50万ポンドをかけてマグネサイトで防音した箱型メインフロア「The Box」を作ります。
パラダイス・ガラージの音響を担当したRichard Long(リチャード・ロング)や、そのクロスオーバーを設計したAl Fierstein(アル・フィアステイン)の設計思想を仰ぎ、独自のカスタムスピーカーを導入。納得のいく音響空間が完成するまでに、21か月もの試行錯誤が繰り返されたといいます。
このサウンドシステムは後に、Martin Audio(マーティン・オーディオ)の開発ディレクターJason Baird(ジェイソン・バイアード)らによって、世界最高峰の6スタック・システムへとアップデートされました。

オープンして最初のレジデントDJはもちろんジャスティンでしたが、すぐにTony Humphries(トニー・ハンフリーズ)が加わります。また11月にはLarry Levan(ラリー・レヴァン)も来てスピーカーを調整してくれた挙句、予定外に3か月間もDJしてくれるというラッキーなハプニングもあり、名実ともに「ロンドンのパラダイス・ガラージ」となります。
他にはDJ Harvey(ハーヴィ)、Paul “Trouble” Anderson(ポール・トラブル・アンダーソン)、C.J. Mackintosh(C.J.マッキントッシュ)といったハウスDJがプレイ。’94年頃よりPaul OakenfoldやSasha & John Digweedなどのプログレッシブ・ハウスやトランステクノ勢が入ってくるまで、忠実にNYのハウスシーンを再現する、ハウス専門のクラブでした。

※今年2026年1月、サウンドシステムが刷新。Patchwork London(パッチワーク・ロンドン)のLouis Jemmott(ルイス・ジェモット)と、ミニストリーのテクニカル&プロダクションマネージャーOscar Zammit(オスカー・ザミット)によって、Martin AudioからKV2 Audioにリニューアルしています。
② スピード・ガラージ|Speed Garage US
90年代初頭のロンドン。アンダーグラウンドから発生したJungle(ジャングル)やUKハードコア(高速ブレイクビーツに、ヴォーカルやラップを乗せたもの)が流行し、メジャーチャート入り。
この時代、BPM135~155という速いビートのサウンドが流行っていました。
1990年、Timmy Ram Jam(ティミー・ラム・ジャム)というプロモーターが、クラブ閉店後のレイバーたちのために、日曜日の朝9時からスタートするイベント「Happy Days」を、The Elephant and Castle Pub(エレファント&キャッスル・パブ)という駅前のパブでスタート。
1991年、パブから徒歩数分と非常に近い場所に、Ministry of Sound(ミニストリー・オブ・サウンド)がオープン。5000人以上が詰めかけるミニストリーから流れてくる、土曜日の営業終了後のお客さんが立ち寄ることになり、このアフター・アワーズ・サンデー・パーティが徐々に人気となります。

ミニストリーはリカー・ライセンスを持っていなかったため、水だけで8時間踊り続けたお客さんが、お酒を飲みに来る目的でも、このパブに来ることになりました。
※ミニストリーは1994年にリカー・ライセンスを取得、2005年には24時間ドリンキング・ライセンスを取得。現在は数カ所にバーを設置していますが、メインフロアのThe Box内はお酒の持ち込み禁止です。
このパブでDJを担当していた、Matt “Jam” Lamont(マット・“ジャム”・ラモント)とKarl “Tuff Enuff” Brown(カール・“タフ・イナフ”・ブラウン)のふたり組「Tuff Jam(タフ・ジャム)」が、1993年ごろから、US産ハウスをBPM130前後にピッチアップしてプレイし始めます。


同じ頃、Timmi Magic(ティミー・マジック)とMikee B(マイキーB)、Spoony(スプーニー)の3人組「The Dreem Teem(ドリーム・チーム)」も、Frog & Nightgown(フロッグ&ナイトゴーン)というパブにて、同じようにUSハウスをピッチアップしてプレイ。
こちらもミニストリーから車で10分圏内にあり、ミニストリーが閉店した後のお客さんが立ち寄るのに便利な場所でした(現在は閉店、建物も取り壊されています)。
この2組はパイレーツラジオでDJをしており、このピッチアップしたUSハウスをラジオでもかけはじめます。


サウスイースト・ロンドンのGreenwich(グリーンウィッチ)にあるクラブでDJをしていたDJ EZも、Todd Edwards(トッド・エドワーズ)のハウス曲をBPM130までピッチアップ。彼はFreek FMでDJをしており、こちらでもラジオプレイ。
さらにロンドン中心部(コヴェントガーデン/レスタースクエア裏のソーホー地区)にあった大型クラブGass Club(ガス・クラブ)でもDominic Spreadlove(ドミニク・スプレッドラブ)がピッチアップしたUSハウスをプレイ。


以下のような曲が、+8、最大限にピッチコントロールを上げてピッチアップ(BPM123前後→130超え)し、当時流行だった高速ビートになるべく近い速さになるようにプレイされていました。
Ty Brunson Featuring Chanelle – All Of Me(1993)
Todd Edwards presents The Sample Choir – The Praise(God In His Hand)(1994)
Black Magic – Let It Go(MAW Dub)(1995)
これが「Speed Garage(スピードガラージ)」と呼ばれるようになります。当初は単純にUSハウスをピッチアップしただけ、名前もズバリそのままです。
Gass Clubに遊びに来たTodd Terry(トッド・テリー)が、ピッチアップしているのを聴いて「“スピード”ガラージみたいな感じ…」と言ったのが起源、という話が浸透していますが、これには確証がありません。ロンドンの至るところで同時多発的にUSハウスを速くかけていたのを、イギリスのメディアがスピードガラージと呼び始めたのが真実のようです。
なぜ「スピード“ハウス”」ではなく「スピード“ガラージ”」になったのかというと、イギリスではシカゴハウスを80年代に輸入してアシッドハウスが大流行し、その後、90年代に入ってミニストリーがNYの音を持ってきたため、「ハウス=シカゴの機械音」「ガラージ=NYの歌もの」と明確に区別していたことが原因と思われます。
他にも以下のようなトラックが、スピードガラージとしてプレイされていました。
- Nightcrawlers – Push the Feeling On(The Dub of Doom)(1992/FFRR)
- Roy Davis Jr. – Gabriel(Live Garage Mix)(1996/Large Records)
- Cloud 9 – Do You Want Me(1993/Sub Urban)
- Mood II Swing – Closer(Swing to Mood Dub)(1994/BPM King Street Sounds)
スピードガラージとしてプレイされていたレコードは、ランダムにセレクトされたものではありません。ハウスの基本となる4ビートのキックドラムを保ちつつ、ハイハットやスネアが多少ズレたオフグリッドに配置されており、シンコペーションしているシャッフル・ビートのトラックが選ばれています。
これらのトラックは、シャッフル・アルゴリズムが備わったAkai MPC60やE-mu SP1200で制作されており、アナログでシャッフル感を出していました。
➂ UK産スピードガラージ|Speed Garage UK
この「スピードガラージ」が日曜朝のアフターアワーズ・シーンや、パイレーツラジオで流行っているうちに、同じシャッフル感を持ったUK産のハウスがリリースされ始めます。
J. C. And The Jam Experience「Feel My Love」(1993)
R.I.P Productions「Pick Me Up」(1995)
Scott Garcia feat. MC Styles – It’s a London Thing(1997)
Tuff Jam feat. Xavier – Tumblin’ Down(1997)
④ 2ステップ|2step
UK産スピードガラージの4つ打ちビートのうち、1234の2と4のキックを除いた、よりパンピーなリズムの「2ステップ」が登場。初期は、R&Bやハウスの曲を2ステップにDub Remixしたものが多い状態でした。
Tina Moore – Never Gonna Let You Go(Kelly G Bump-N-Go Dub)(1995)
U.S.L – Making Love(Dub Mix)(1995)
Skycap – Endorphin(1997)
Groove Chronicles – Stone Cold(1997)
Amira – My Desire(Dreem Teem Remix)(1997)
以下はIndo「R U Sleeping」の各Remix比較。Stonebridgeによる王道ハウスRemix、Todd EdwardsによるスピードガラージRemix、Grant Nelsonによる2ステップRemix。
Jeremy Sylvester(ジェレミー・シルヴェスター)とGrant Nelson(グラント・ネルソン)は2ステップのパイオニアと言われていますが、単に4ビートの2と4を抜いただけではありません。US産スピードガラージがMPCで作っていたシャッフル・ビートを、AtariとCubaseによりデジタル作業で2と4を抜きハイハットを遅らせ、スウィング・ビートを生み出したことが「パイオニア」の所以。
つまりUKガラージは単なる「UK産のソウルフルなハウス」ではありません。US産のオングリッドな初期ハウスから進化した、オフグリッドでシンコペーションするリズムを強調したのがUKガラージです。
トッド・エドワーズが発明したマイクロサンプルのヴォーカル(非常に細かくチョップされたヴォーカル)は、2ステップではゴーストノート(四つ打ちから抜けた2と4)を埋め、キックやスネアの代替として配置されています。
⑤ UKGアーティストの台頭|Rise of UKG Artists
1999年以降、ハウスやR&BのRemixではなく、ゼロからUKガラージ(UKG)のオリジナル楽曲を作るアーティストが登場します。
Shanks & Bigfoot – Sweet Like Chocolate(1999)
Artful Dodger feat. Craig David – Re-Rewind(1999)
MJ Cole feat. Jay Dee, Noca Caspar – Sincare(1999)
Sweet Female Attitude – Flowers(2000)
Wookie – Battle feat Lain Gray(2000)
So Solid Crew – 21 Seconds (2001)
こういったアーティストがUKチャートに入るようになり、UKガラージはクラブを出てメジャーシーンにも浸透します。
この頃「The Elephant and Castle Pub」をはじめとしたUKガラージのクラブには「No hats, No hoods, No trainers」というドレスコードがあり、ジーンズやスニーカーでは入場できませんでした。グッチやヴェルサーチなどデザイナーブランド服、プラダのローファーやハイヒール、シャンパン&カクテル、ラグジュアリーで高価なスタイルが好まれ、ヒップな層が集っていました。
このファンシーでポッシュなドレスコードは、後にブライトンのビッグビートや、イーストロンドンのグライムで完全否定されることになります。
Ministry of Soundでは、フットボールシャツやキャップなど、カジュアルすぎる服装はNGだったものの、TシャツやジーンズはOK。ロンドンのパラダイス・ガラージを目標にしていたオーナーたちは、NYでは踊るのに最適なTシャツとジーンズで来る常連が多いことを知っており、フォーカスすべきはファッションではなく音であるという認識がありました。


