Ian Pooley(イアン・プーリー)
夏のビーチが似合う陽気なブラジリアン・ハウスや、ディスコ・テイストの明るくダンサンブルなトラックが多い、Ian Pooley(イアン・プーリー)。90年代からDJ活動で世界中を飛び廻り、とりわけ日本にファンの多いDJ兼プロデューサー。
レコードからのサンプリングやヴィンテージ・シンセを多用し、アンダーグラウンドでアナログ感を重視した音づくりやDJプレイは、現在のコマーシャルで冷たく機械的なテックハウスとは真逆の、あたたかいグルーヴ感が特徴。
今回は、テクノ大国ドイツが誇るハウスDJを紹介します。
本名 Ian Christopher Pinnekamp(イアン・クリストファー・ピネカンプ)ことIan Pooleyは、1973年、ドイツのフランクフルト郊外にあるMainz(マインツ)生まれ。
幼馴染で同級生のThomas-René Gerlach(トーマス・レネ・ゲーリッヒ)と共に、初期のシカゴ・ハウスやデトロイト・テクノにハマり、Derrick May(デリック・メイ)やKevin Saunderson(ケヴィン・サンダーソン)を聴くようになります。
ふたりはフランクフルトにレコードを買いに行ったり、共同でお金を貯めて機材を買い、トーマスの家の地下にスタジオを作って曲づくりをしたり、毎日一緒の日々。16歳の時、パリでハードテクノのギグを披露したのもふたり一緒でした。
1991年、若干18歳のふたりはT’N’I名義で「Low Mass E.P.」をリリース。
T’N’I – Anecdote(Deep Kick Mix)(1991)
その後も「Space Cube」や「Outlage」といった別名義で、ふたり共同プロデュースの12inchをリリース。
トーマスは1993年、Thomasticという個人名義で「Euro Style Tunes Vol. 1」をリリース。イアンも同年、Ian Pooleyの個人名義で「Limited Edition」をリリースします。
Ian Pooley – Untitled A1(1993)
1994年、イアンはRichie Hawtin(リッチー・ホーティン)が共同設立者となっている有名テクノレーベルDefinitive Recordingsから契約をゲット。以下「Rollerskate Disco」は明らかにイアンというよりトーマスの音で、実際は共同制作されたトラック。
Ian Pooley – Rollerskate Disco(1994)
1995年、トーマスはThomasticからDJ Tonkaと名前を変え、ソロでリリースを開始。ドイツのレーベルForce Inc. Music Worksのアメリカ進出と共に、レコードが世界的にディストリビューションされるようになります。
DJ Tonka – Feel(1995)
DJ Tonkaはディスコ曲をサンプリングした、いわゆる「Cut-Up House」がキャッチーでクラブで受け、ダンスチャートに入るようになります。メジャーアーティストのRemix仕事も手掛け、90年代ヨーロッパでは、イアン・プーリーよりもDJ Tonkaの方が知名度がありました。
この頃、クリエイティブの方向性が違うことが判明し、ふたり共同プロデュースの曲はなくなりますが、純粋に音楽性の違いであって、仲が悪くなったわけではなく、すでに50代の今でも相変わらず仲良しの幼馴染友達とのこと。

イアンはコンスタントにテクノのトラックをリリースしますが、1996年、ポルトガル第二の都市ポルトにDJで出張。地元のバーで飲んでいた時に、偶然Marcos Valle(マルコス・ヴァレ)やAstrud Gilberto(アストラッド・ジルベルト)といったブラジル音楽を耳にします。
これらの曲を幼い頃に聴いたことがあったような気がしたイアンは、60~70年代のブラジル音楽のレコードを買い集めるようになり、ボサノヴァやサンバのシンコペーション・ビートを研究。BPMが遅めのハウスを制作するようになります。
また、この時期にV2レコードとアルバム契約。V2はVirginやEMIで実績を積んだRichard Branson(リチャード・ブランソン)が1996年、ロンドンで立ち上げたベンチャーレーベルで、インディペンデントながらメジャーに通用するアーティストを次々と発掘。Moby、The White Stripes、Stereophonicsといったアーティストを擁していました。
1998年、リードシングル「What’s Your Number」をV2よりリリース。ハウスとブレイクビーツの中間の音で、オリジナルはメジャーチャートに喰い込み、JazzanovaによるRemixはクラブヒットします。
Ian Pooley – What’s Your Number(Jazzanova Renumber)(1998)
当時ドイツではTrüby TrioのCompost RecordsやJazzanovaが活躍し、ベルリンは「Nu Jazz」の中心地。その人気を象徴する1曲となります。
同年、アルバム「Meridian(メリディアン)」発表。ディープで洗練されたハウスが注目を浴び、イアン・プーリー=ハウス・プロデューサーという認識が定着しはじめます。
2000年、アルバム『Since Then』発表。リードシングル「900 Degrees」がヒットし、彼の代表作のひとつとなります。
Ian Pooley – 900 Degrees(2000)
ヴォーカルのRosanna & Zelia(ロザンナ&ゼリア)は、この時期ちょうどフランクフルトに在住していたブラジル・ミナスジェライ出身の女性デュオ。アルバム収録の他のトラックでも起用されており、アルバム全体がリオのハードなサンバではなく、ミナスやバイーアのあたたかくグルーブ感あふれるムードでまとめられています。
リズムはサンバの基本となるBatucada(バトゥカダ)を取り入れつつ、ディスコ曲のRené & Angela「I Love You More」、Shalamar「Make That Move」、Raw Silk「Do It To The Music」をサンプリング。
900 Degreesはファーレンハイト、セルシアスに直すと482℃。ヨーロッパのストーブは上限が500℉ほどで、900℉だとピザが一瞬で丸焦げになる温度。つまり、ものすごくHotで「暑い」「熱い」ことを表しており、後年「1000 Degrees」という、さらに“熱い”タイトルでRemixを発表しています。
Ian Pooley – Coração Tambor(2000)
こちらも同アルバム収録のヒット曲。Coração Tambor(コラソン・タンボル)はポルトガル語で「Drum Heart」の意味。ブラジリアン・ビートの核心であるパーカッションを909に置き換えつつ、軽快でエアリーなメロディを弾くフェンダーローズと、ふわっとしたRosanna & Zeliaのヴォーカルが乗るエレクトロ・ボッサ。
2003年にはV2を離脱し、自らのレーベルPooledmusicを設立。アルバムやシングルをコンスタントにリリース。2004年にオープンしたBerghain-Panorama Barでは、主にPanorama Barの日曜朝に出演し、テクノ/ハウスをプレイ。前身のOstgut時代から出演していた彼は、現在でもPanorama Barの重鎮DJとして度々ブッキングされています。
1997年Liquid Roomでの日本初公演から、2025年11月の来日まで、イアン・プーリーの来日回数は10回以上。インタビューでは「日本のリスナーは、ハウスやテクノの歴史に対して非常に教養があり、DJに敬意を払い、深く耳を傾ける姿勢がある」と語り、日本は自由でアーティスティックなDJができる場所だと言っています。
DJは12inch時代と同じく、SyncボタンやラップトップApp(Traktor、Seratoなど)は使わずCDJのピッチコントロールのみ、ゆっくりとその日のストーリーをロングミックスで構築していくスタイル。フレンドリーでカジュアルなキャラクターが反映された、BPM125前後の踊りやすいセットが特徴。
流行ではなく本質を追い求め、ピュアリスト(純粋主義者)から愛される、昔気質のイアン・プーリー。すでに次回の来日が待ち遠しい、親日家DJです。
Ian Pooleyのおすすめ曲
Ian Pooley – Feel It(1995)
Ian Pooley – Chord Memory(Daft Punk Remix)(1996)
Daft Punk – Burnin’ (Ian Pooley Cut Up MIx)(1997)
Ian Pooley – Quatro(2002)
Ian Pooley & Magik J – Piha(2002)
Ian Pooley – Missing You(Pooley’s flashback)(2002)
Ian Pooley – CompuRhythm(Dixon 4/4 Treatment)(2012)
Jovonn – Pianos of Gold(Ian Pooley Mix)(2018)

