Floating Points(フローティング・ポインツ)
音響の科学を追及し、誰も体験したことのない音を追及するミニマル・ハウスの実践者、Floating Points(フローティング・ポインツ)。イマジネーションを拡張させる前衛的な楽曲制作を続ける傍ら、DJはレコード・コレクターらしい縦横無尽な選曲で、全音楽好きを唸らせるプレイフルなスタイル。
その名の通り、いつ現れて、いつ消えるのかわからない、つかみどころのない音は、無限に続くπのように脳裏のプロセッサーに刻まれ、音楽が記憶と好奇心の相克から生まれる芸術なのだと思い出させてくれる強度と深度を持っています。
すでにデビューから17年、独自にミキサーやスピーカーまで作ってしまった、業界髄一のサイエンティスト博士DJを紹介します。
1986年、イギリス・ノースウエストの工業都市が「マッド・チェスター」と呼ばれ始めたころ、Floating PointsことSamuel Thomas Shepherd(サミュエル・トーマス・シェパード)は、牧師の息子として、マンチェスターで生まれました。
サムの音楽の旅は、8歳の時にマンチェスター大聖堂の聖歌隊員として始まります。大きな牧師館に住んでいた彼は、キッチンや妹の寝室にドラムセットやチェロを設置。家中に配線を張り巡らせ、広い部屋のリヴァーブ効果や、壁を通した音の違いなどを試しながら、安いマイクを使いMDに録音する、いわゆる「宅録」実験をしていたといいます。
声変わりの後、地元のチェサム音楽学校に入学。クラシックの作曲方法とジャズピアノを学びます。ドビュッシーに代表されるフランス印象派を、ビル・エヴァンスと融合させ、複雑なハーモニーをつくることに熱中。
聖歌隊で稼いだポケットマネーは、学校の近所にあるレコードショップで散財。Fat City RecordsやVinyl Exchangeなどレコード屋さんが充実していたマンチェスターで、古いソウルやジャズから最新のデトロイトハウスまで、様々なジャンルをハントするクレートディガーでした。
また学校内の打ち捨てられたスタジオで、Korg MS20、Yamaha CS80、Akai S90 サンプラーなどヴィンテージ機材を発見。電子機材にも興味を持つようになります。
ティーンエイジャーの頃から、彼はすでにプロレベルでクラシックとジャズピアノを演奏することができ、パイプオルガン、ハープシコード、フェンダーローズやウーリッツァーといったヴィンテージの電子ピアノ、シンセサイザーなどあらゆる鍵盤楽器に加え、チェロ、ドラムもできるという、音楽的資質を発揮していました。

Photo by Mike Peel (www.mikepeel.net).

Photo by DAVID ILIFF
音楽学校を卒業後、ロンドンに移住。ユニバーシティ・カレッジ・ロンドン(UCL)にて、薬理学を専攻、3年でBachelor(バチェラー/学士号)のディグリーを取ります。続けてPh.D(博士号)を取得するため、神経科学の研究を開始。
純粋な知的好奇心と、社会に貢献するために選んだ神経科学は、後に彼の音楽との関係性が取り上げられることになりますが、彼は「それぞれまったく別物」ときっぱり否定し、度重なる詮索や憶測にうんざりしているとのこと。
2000年代後半、ロンドン・ショーディッチのクラブ「Plastic People(プラスチック・ピープル)」でDJ活動を開始。世界でも屈指の完璧な音響システムと、徹底した音楽第一主義で有名だったこのクラブを、サムは「音の実験室」と捉え、「You’re A Melody」というパーティを主催、レジデントを務めます。
ここで出会ったのが、 Four Tet(フォー・テット)ことKieran Hebden(キーラン・ヘブデン)と、Caribou(カリブー/DJ時はDaphni)ことDan Snaith(ダン・スナイス)。2015年の閉店まで、DJ活動と共に、「CD-Rナイト」と呼んでいた、オリジナル楽曲を披露する場も共有し、お互いに影響し合っていました。

このCD-Rナイトで、サムの音を気に入ったのが、Rinse FMで番組を担当していたAlexander Nut (アレクサンダー・ナット)。彼は自身のレーベルを作りたいと考えており、自分の音楽の発表の場を求めていたサムと意気投合。
2009年2月、ふたりのレーベルEglo Records(エグロ・レコーズ)から、初の12inchデビュー作「For You / Radiality」をリリース。
Floating Points – Radiality(2009)
UCLでリサーチャー(日本でいう大学院生)だった彼は、本名を出して音楽活動が大学にバレることを恐れており、Floating Pointsという名前を使うことにします。最初は様々な音楽的アイデアが漂うグループを想定していたため「Points」と複数形。
2009年8月「K&G Beat」をリリース。この曲がPitchfolkの8月「Best New Track」となり、世界中のエクスペリメンタル・ミュージックファンが注目。
2009年9月、10代の頃、両親のダイソンの掃除機の音を、音楽学校スタジオで録音した音源を使った「Vacuum Boogie」というトラックを中心とした『Vacuum EP』を発表。
Floating Points – Vacuum Boogie(2009)
この曲がGilles Peterson(ジャイルス・ピーターソン)、Mary Anne Hobbs(メアリー・アンヌ・ホブス)、Benji B(ベンジー・ビー)といったBBCトップクラスのラジオDJにヘヴィーエアプレイされ、Floating Pointsの名は一夜にしてイギリス中に広まることとなります。
またTheo Parrish(セオ・パリッシュ)やBen UFO(ベンUFO)といったクラブDJからも支持を受け、クラブヒット。Resident AdvisorやInverted Audioといったメディアがその年のベストトラックのひとつと高評価。
学生時代からセオ・パリッシュを好んで聴いていたサムは、セオのオフグリッドなビートと粗削りなテクスチャを参考に「Vacuum Boogie」を制作。デトロイトハウスへのロンドンからのリスペクトに、セオ本人がレスポンスするという、サムにとっては面目躍如たるトラックとなります。
印象的な太陽イラストのジャケットは、Kay Shin(ケイ・シン)という女性アーティストが手掛けており、彼女はEglo Recordsコレクティブのメンバー。他にも何枚かFloating Pointsのアートワークを手掛けると共に、Bassment Jaxxの曲にシンガーとしても参加しています。
この頃のセットアップはWindows PCにCubase、ドラムマシン替わりのPropellerhead Reasonというソフト、Akai S900 / S950やフェンダーローズなど古いタイプのサンプラーや電子ピアノ。UCL時代からWinに慣れており、今でもスタジオはLinuxとWindowsのカスタムマシン。DJ時はMacBookを使用しています。
翌年にはThe Floating Points Ensemble(フローティング・ポインツ・アンサンブル)という、ストリングスやホーンなど16人編成のクラシック・アンサンブルを結成し、BBCに出演。2010年のBest Radio 1 Session of the Yearを受賞。若干23歳にして複雑なクラシックのスコアが組める作曲家として認められることとなります。
このアンサンブルで判明したのは、彼がオーケストラの曲が作曲できる、譜面が読めて書け、絶対音感を持つ作曲家・音楽家であるということ。地元の音楽学校に行っているものの、ジュリアードに行ってもトップティア。
2011年「Shadows EP」リリース。この頃から海外での活動が増えますが、平日は博士論文に取り組み、金曜の夜にはベルリンやイビサへ飛んでDJを披露、月曜の朝9時には再び顕微鏡に向かう日々。普段はUCLの窓のない研究室で1日12時間も研究に没頭していたため、同僚の多くは、彼が有名なミュージシャンであることを知りませんでした。
ベルリンBerghainでのレギュラー、NY、カナダ、東京UnitやContactへのDJ出演、バルセロナのSónarやクロアチアのDimentions、Four Tetとの南米ツアーなど、有名クラブのギグをソールドアウトにし、巨大フェスティバルのヘッドライナーと務めていた時も、サムは科学が「本業」であり、音楽は「副業」あるいは趣味と考えていました。
転機となったのは2015年。完成に5年を費やしたデビューアルバム『Elaenia』を発表。
このアルバムでは、音の質感と静寂を組み合わせ、生演奏の楽器を加えることで、シンセサイザーに「生命」を宿し、電子音楽が有機的に鼓動し呼吸するエネルギーを生み出せるかどうかを試したかったといいます。具体的には、扱いの難しいBuchla 200eというモジュラ-シンセを中心に使用。
2~3年間制作に打ち込み、行き詰っていた時、サムは森の火事に巻き込まれた鳥の夢を見て、その翼が光でできていたことに強い啓示を受けます。この光の鳥が、視覚的な質感のインスパイア源となり、音の揺らめきや透明感、浮遊感を精錬し、アルバムを完成させることになります。
タイトルのElaenia(エラエニア)はコスタリカやエクアドルなど中南米に生息する鳥。ラテン語の学名であり、フィロソフィカルかつエアリーな響きを持つこの言葉を、音のテクスチャを表す象徴としてタイトルに冠しています。
『Elaenia』はRAが年間ベストアルバムに選出、辛口のThe Guardian誌が5点満点をつけるなど、高い評価を得ます。
Floating Points – Silhouettes(I, II & III)(2015)
そして同じ2015年、7年ほど取り組んでいた神経科学とエピジェネティクス(後成遺伝学)の論文が完成、UCL入学より10年を経てPh.Dを取得。平均的に3~4年と言われるPh.Dに2倍ほどの年月を要したのは、音楽活動が忙しかったことと、完璧主義の表れながら、長年の目標が成就されたことで区切りがつき、科学と音楽の両方を100%の力で打ち込むことは困難と判断。科学者への道をあきらめることとなります。
サムはこの判断について「科学の分野は残酷な世界」と語っています。論文を発表するタイミングが少し遅れるだけで、他の研究者に先を越されてしまい、数年間の研究が無意味になる熾烈な競争。Doctorになった後、Professorになるまでの最低10年、果てしないポスドク期間における研究助成金獲得のための政治的戦略。助成金申請書類を書き続け、ロビー活動に明け暮れ、研究と関係のない時間が生活の半分以上を占めてしまう皮肉な現実…。
研究者生活に身を投じるという当初からの願いよりも、次々と湧いてくる新しい音楽のアイデアの方が強く、『Elaenia』の成功が後押しして、サムはついにフルタイムのミュージシャンとしての活動をスタートします。
ちなみにノーベル科学賞を受賞したDemis Hassabis(デミス・ハサビス)氏は、サムと同じ時期、同じ大学のUCLで、同じ神経科学の研究をしてPh.Dを取得しています。DeepMindがGoogleに買収され、一躍AIの寵児となりますが、UCLはケンブリッジ、オックスフォードと並び「世界トップ10」に入る、ノーベル賞受賞者を30人以上輩出したエリート大学。
2016年、シングル「Kuiper(カイパー)」を含む『Kuiper EP』発表。アンビエントなオープニングから、生のドラムとウーリッアーのアナログな響きが加わりサイケデリックに展開する、18分の大作。
1951年にその存在を予言したオランダ系アメリカ人の天文学者ジェラール・カイパーにちなんで名付けられた「カイパー・ベルト」からきているタイトル通り、宇宙を感じる壮大な作品。
2017年は『Reflections: Mojave Desert』発表。アメリカ西南部に広がるモハ-ヴェ砂漠の広大な風景の中で、演奏とレコーディングを行う様子が収められた短編映画とサントラの作品で、ピンク・フロイドやポストロックバンドのような雰囲気。
2019年、2ndソロアルバム『Crush』リリース。もともとアルバムを作る予定がなかったものの、The xxの前座でシンセを駆使したノイズ音を実験的に出していたところ、この音が気に入ったため、5週間で完成させたアルバム。
ファーストアルバムではフラフラと浮かんでいたBuchla 200eを、ここでは乱暴に暴走させながら、Plastic Peopleへのオマージュとして、ベースがヘヴィでエクスペリメンタルなトラックが中心。
Floating Points – LesAlpx(2019)
コロナ明けの2021年、コラボアルバム『Promise』リリース。ジャズの巨匠Pharoah Sanders(ファラオ・サンダース)とLondon Symphony Orchestraとのコラボで、たった7音の1メロディが46分繰り返されるという、モダンジャズの「ひとつのモチーフを各プレイヤーがアレンジして順番に演奏する」という側面からすると、究極のジャズアルバム。
Movement 1から6というタイトルのトラックで構成されており、1がメインメロディのイントロデュース、6がクライマックスとなっています。
Floating Points, Pharoah Sanders & The London Symphony Orchestra – Movement 1(2019)
Floating Points, Pharoah Sanders & The London Symphony Orchestra – Movement 6(2019)
アルバム収録時、ファラオは80歳で、15年間スタジオアルバムをリリースしておらず、2022年に亡くなってしまったため、これが最後のアルバムとなりました。
2024年、3rdソロアルバム『Cascade』リリース。サンフランシスコ・バレエ団の作曲仕事でカリフォルニアから動けなかったため、普段なら自宅スタジオの高価なヴィンテージマシンやアナログのドラムを使うところを、ラップトップとヘッドフォンのみで作ったダンスアルバム。
Floating Points – Birth4000(2024)
Donna Summer(ドナ・サマー)とGiorgio Moroder(ジョルジオ・モロダー)による’77年の名曲「I Feel Love」へのオマージュ曲。当時最新鋭だった16トラックのレコーダーとMoogを用い、キック以外はすべて電子音で構成された画期的なディスコ曲の、DAWによる現代版。
アルバムのジャケットやビデオのアートワークは、日本人の中山晃子(Akiko Nakayama)さんが担当。固定したキャンバスではなく、水やオイルにインクをたらしていくところをマイクロカメラで撮影するヴィジュアル・アーティスト。「Key103」のビデオは、Akikoさんと沖縄科学技術大学院(大学部門はOIST)とのコラボレーション。
同時進行していた、サンフランシスコ・バレエ団での仕事はこちらで見ることができます。
2025年、開発に10年かけたというオリジナルのサウンドシステム「The Sunflower」を公開。Plastic Peopleのスピーカーを、2015年の閉店時にもらいうけ、自宅の地下スタジオに保管し、他クラブのスピーカーと比べるなどして、サウンドシステムの研究していたといいます。
最大10基のモジュールからなるこのシステムは、Altec Designsという40~50年代に有名だったアメリカの会社が作ったAltec 515 drivers(ウーファー)というレアなパーツがメインで、JBLのホーンを加えてパワーが補強されています。最上部にはTAD ET-703のツイーターを搭載。会場の大きさによって2~10基で組み換え可能で、2025年のGlastonburyでお披露目されました。
さらにマイセリウムという新しいバイオ素材の円盤型吸音パネルを天井に配置することで、野外テントでも最適な音響が得られます。つまりテントと複合スピーカーと吸音パネルがセットになった音響空間全体が「The Sunflower」です。
マイセリウムはキノコ菌糸体で作られた新素材。Magical Mushroom Company(MMC)という会社が製造・販売しています。農業廃棄物、具体的には麻の茎にキノコの菌を植え付け、それを直径2メートルの円形の型に入れます。キノコは麻の繊維を食べて成長し、厚さ7センチの適度な密度になったら熱処理で成長を止め、耐久性、耐火性、吸音性に優れた素材が出来上がります。
この菌糸体素材は100%生分解性で、野外に放置すると50日で完全に堆肥化するので、フェスで使った後に放置しても大丈夫。

もとは野外フェスの音の悪さに辟易していたサムが、どうにかしたいという思いで作ったとのことですが、テントを張って天井にパネルを設置するので、野外に即席クラブを作るような感覚。
上記映像でサムが使っている黒ボディ黒ノブのミキサーは、Isonoe(イソノエ)と共同で4年間研究し、FPミキサーと名付けられたロータリーミキサー。2つの独立したマスターアイソレーターを搭載し、ベークライト製のノブと、日本製ALPSポテンショメーターを採用。非常に大きく重いので、ツアー時はARS MODEL 9100を使用しています。

スピーカーもミキサーも楽器という認識で開発する、音響のマッド・サイエンティスト。彼にとってはドビュッシーもセオ・パリッシュもファラオ・サンダースも一緒、肝心なのは音の重なりと広がりの美しさだけ、なのかもしれません。
フローティング・ポイント、すなわち浮動小数点。小数点の位置が動くことから名付けられたこの単語は、彼のパースペクティブを如実に表すキーワード。サムにとってはジャンルの区切りなど、小数点が移動するように簡単に行き来できるものなのでしょう。0と1の限りない連続は、音が連なってできている音楽と同じく柔軟で自由。
Dr.のタイトルに負けない精密さを誇る楽曲プロデュースの難解さと異なり、DJは観客との一体感とライブ感を重視し「踊れる」DJを披露しています。B2BではFour Tet、Daphni、Ben UFOといった親しい友人と組む以外に、Fred Again..やSkrillexといったメンツとも組んでおり、ジャンルやステイタスを超えたコラボレーションを実現。
ハウス視点で捉えるとエキセントリックに見えるものの、要はいつもおもしろいことをやっている天才の変人。曲をヒットさせDJツアーをまわりフェス出演…、そんな人気DJ製造テンプレはもう結構。フローティング・ポインツなら、そのハイエンド仕様CPUブレインで、今後も誰も考えつかない奇想天外なことをやってくれるに違いありません。
Floating Pointsのおすすめ曲
Floating Points – Last Bloom(2019)
Floating Points – Bias(Mayfield Depot Mix)(2022)
Floating Points – Key103(2024)
Floating Points – Vocoder(2024)

