Ashley Beedle(アシュレー・ビードル)
「これはSound Factoryのテーマ曲みたいなものだ、僕のお気に入りの曲でもある。Ashley Beedleは本当に良い仕事をした。」
ハウスミュージック界のゴッドファーザー、フランキー・ナックルズをして、こう言わしめたイギリス人、Ashley Beedle(アシュレー・ビードル)。
「Where Are You?」がSound Factory(サウンド・ファクトリー)でヘヴィープレイされたことをきっかけにNYのフロアを席巻した後も、Black Science Orchestra(ブラック・サイエンス・オーケストラ)、X-Press2(エクスプレス2)、Ballistic Brothers(バリスティック・ブラザーズ)など数多くのプロジェクト名義を使い分け、90年代のハウスをロンドンから挑発し続けた男。ディスコをディコンストラクトし、新たなハウスの領域を切り開いて、レジェンドたちから称賛を浴びる彼の実像に迫ります。
第二次世界大戦後、疲弊する英国経済復興のために、カリブ海諸国からやってきた移民船「エンパイア・ウィンドラッシュ号」。この後も続々と続いたカリビアンの移民は、この船の名を取り「ウィンドラッシュ世代」と呼ばれました。
1960年、カリブ海に浮かぶ島、バルバドスからやってきた「Topsy」というニックネームの看護師の女の子が、勤務先ロンドンの病院でポーターをしていた、ロッカースタイルの白人男性からデートに誘われます。バイクに乗って行った先は、世界で最もバイカーに愛される店「Ace Cafe」。
彼女は、白人とつきあいはじめた一番最初の黒人女性だったと、アシュレーはTopsy本人、つまり母親から後々聞くことになります。ふたりはほどなく結婚するものの、当時、異人種間の結婚はめずらしく、全国紙も地方紙も、このふたりの結婚について書き立てたといいます。
1962年、このふたりの間にアシュレーが生まれ,、生後7か月でバルバドスに戻ります。バルバドスがまだ英国から独立していなかった時代、母は父と同伴しているだけで警察に止められ、白人専用の場所に入れず、差別の対象として肩身の狭い日々。結局3人は3年後、ロンドン北西の街、ハーロウに再度移住します。
父のコリン・ビードルは膨大なレコードコレクションを持ち、フォークやロックステディ、ブルース・スプリングスティーンまで、あらゆる音楽をアシュレーに聴かせ、アーティストやプロデューサーについて、ふたりで語り合ったといいます。
10代の頃からハーロウにあるクラブへ通うようになり、ソウルやジャズ、ディスコ音楽に夢中になります。父からDJセットを誕生日プレゼントにもらい、16歳で初めてのギグ、ブルーズ・パーティで初DJを経験します。
友達と行ったサウンドシステムで、初めてAdonis(アドニス)の「No Way Back」を聴いた彼は、その新しい音に驚きました。ハウスミュージックを聴き込むようになり、特にRon Hardy(ロン・ハーディ)のテープエディットに感銘を受けたといいます。
ロンドンSOHO地区にあるレコード店「Black Market Records(ブラック・マーケット・レコーズ)で働くことになった彼は、地元サウンドシステムに加わり、ノッティングヒル・カーニバル[1] にて、イベント初となるハウスをDJプレイ。そして1990年、友人のスタジオを借りて作った「Safe As Houses」をPsychic Vitamins(サイキック・ヴィタミンズ)名義で初リリースします。
Psychic Vitamins – Safe As Houses
その頃、Rob Mello(ロブ・メロ)が、Black Market RecordsのオーナーであるDave Piccioni(デイヴ・ピッチョーニ)と共にAzuli Records(アズリ・レコーズ)を立ち上げ「Disco Elements」など、サンプリングベースの良質なハウスのEPレコードをリリース開始。
ロブはアシュレーと同じハーロウ出身で、幼い頃から交流があり、Black Market Recordsを中心に、知られざる古いレコードをDigする「クレート・ディガー」(牛乳配達に使われていたプラスティックや木の箱、いわゆるミルク・クレートに中古レコードを入れて売っていたことからその名がついた、ヴァイナル・ディガー)友達でした。
ある日、中古レコード屋をぶらついていた彼は、ハシゴに登ってレコードを探していたところ、友人のNorman Jay(ノーマン・ジェイ)[2] から「君にはこれが必要だ」と1枚のレコードを指差されたといいます。「君はフィリーものが好きなんだろう?アシュ、これを買えよ」と言われたレコードは『The Trammps III(トランプス3)』でした。
アシュレーはロブと、キーボードが弾ける友達John Howard (ジョン・ハワード)を誘い、同じクレート・ディガー仲間で、サンプラーを使えるDanny Arno(ダニー・アルノ)のスタジオに入って、そのトランプスのアルバムの中から、「The Night the Lights Went Out」をサンプリングしたトラックをつくります。
1977年に発売されたこの曲は、’77年7月13日に起こったNY全域の25時間に渡るブラックアウトがテーマ。「NYCの電気が消えたとき、あなたは何処にいましたか?」と問いかけるリリックは、略奪と放火による恐怖の夜から、ロマンスとコミュニティによって希望の光を見出し、NYが「Love City」と呼ばれるきっかけとなった、NYアンセム。Studio54をはじめとした最盛期のNYのディスコでヒットしたディスコ・クラシックです。
完成に満足したアシュレーは、さてこの曲をどうしようか考えました。レコード屋で働く前に、友人にすすめられた仕事で、偶然にもJunior Boy’s Ownのオフィスの隣で働く機会があり、Terry Farley(テリー・フェアリー)、Andrew Weatherall(アンドリュー・ウェザーオール)と既知だったアシュレーは、その曲を持ち込み、即時リリースへと至ります。
1992年、Black Science Orchestra名義にて「Where Are You?」リリース。「何処にいますか?」という現在形に変わった問いかけは、シカゴを離れたハウスミュージックが、NY経由でロンドンまで到達したというジオグラフィカルな、また70年代のディスコバンドの曲が90年代にハウスミュージックに生まれ変わったという、クロノグラフィカルなアチーブメントを象徴していると言えるでしょう。
最初は特に何も起こらなかった、ただ出しただけで終わった、と彼は回想しています。
リリースから数か月が過ぎ、アシュレーがNYのSound Factoryに行った時、Benji Candelario(ベンジー・カンデラリオ/ディスコ期から活躍するNYのDJ)が寄ってきて「君のレコードがNYを席巻してるぞ!」と言われ、茫然。その時、フランキーがWhere~をかけはじめ、まさに自分の作った曲が巨大クラブでかかっていることに驚いたといいます。
Black Science Orchestra – Where Are You?(1992)
リリースから少し時間がかかったものの、この曲はイギリスをはじめヨーロッパでもヒット。早速アシュレーはRocky & Dieselの2人とのプロジェクトX-Press 2にて「Muzik X-Press」をJ.B.O.よりリリース。続けてリリースした「London X-Press」と共に、アンダーグラウンドヒットします。
X-Press2 – Muzik X-Press(1992)
1993年自主レーベル「Black Sunshine Records」設立。これはテクノ寄りの、ハードハウス中心のレーベル。同じく’93年設立の「On Delancey Street」はブレイクビーツを中心にダウンテンポのトラックをリリースするレーベルです。
同年、敬愛するロン・ハーディへのトリビュートとして、Isaac Hayesの「I Can’t Turn Around」をエディット。12inchを個人名義にて発表します。
Ashley Beedle – Turn Around(Tribute to Ron Hardy)(1993)
1995年、X-Press 2に新たなメンバーを加えたBallistic Brothers名義でもリリースをスタート。この名義は4 on the Floorにこだわらず、イギリスらしいブレイクビーツ系トラックやダウンテンポのトラックをリリースしています。
Ballistic Brothers – Blacker(4 The Good Times)(1994)
’95年に新レーベル「Afro Art」をスタート。Black Science Orchestraのリリースはそちらに移します。その子レーベル「Soundboy Entertainment」にはBallistic Brothersを移籍。
全レーベルが同時並行して大量のリリースを続け、ほぼすべてに関わり、クレジットが載るアシュレーは、Pacha、Cream、Fabric等での定期的なDJ活動もあり、多忙な日々が続きます。
2002年、X-Press2名義の「Lazy」をリリース。これはTalking Heads(トーキング・ヘッズ)のDavid Byrne(デヴィッド・バーン)をfeat.、UKシングルチャートNo.1ヒットを記録し、彼のキャリアの中で最も有名な曲となるものの、その後、仕事の都合を理由にX-Press2からは脱退します。
X-Press2 feat. David Byrne – Lazy(2002)
片手では数え切れない数のレコード・レーベルを運営し、様々なジャンルのアーティストとコラボレーション、ディスコ曲のエディットやRemixワークもこなすアシュレーの名は、同世代であるウェザーオールやノーマン・クックと同様に、クロスオーヴァーするブリット・アンダーグラウンドの代名詞と言えるでしょう。
ロンドンは移民の街、特にジャマイカンを中心にカリビアンが多く、多くのDJやアーティストを輩出しています。ウィンドラッシュのセカンド・ゼネレーションとして、アシュレーは先陣を切って活躍し、UKシーンをグローバルに広めてきました。
30余年前のあの日。Sound Factoryに行き、自らの曲が何回もかかっているのを聴いたアシュレーは、DJブースに招待されます。フランキー・ナックルズにお礼を言うと、フランキーは逆に「この曲を作ってくれてありがとう」と答えたといいます。
カリブとイギリスのハイブリッドが、ハウスミュージックのオリジネイターとつながった、稀有な、それでも必然としか思えない邂逅。あの日の「Thank You」が、アシュレー・ビードルの音楽にかける情熱を、今もまだ、衰えることなくドリヴンしているに違いありません。
- [1]ノッティングヒル・カーニバルは、ロンドンでカリブ海文化を祝う一大イベント。
- [2]ノーマン・ジェイもロンドン生まれながら両親はカリブ海の小国グラナダ出身、ウィンドラッシュのセカンド・ゼネレーション。2002年、音楽とDJへの貢献が認められ、DJとして初めてMBE(大英帝国勲章)を授与されています。
Ashley Beedleおすすめ曲
Black Science Orchestra – New Jersey Deep(1994)
Black Science Orchestra – Philadelphia(1994)
Mighty Dub Katz – Just Another Groove(Ashley Beedle’s Amalgamation Disco Edit)(1995)
Black Science Orchestra – Save Us(1996)
Azymuth – Jazz Carnival – Yambee Rework(Ashley Beedle & Yam Who?)(2008)

