Derrick May(デリック・メイ)

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Derrick May(デリック・メイ)

Derrick Mayは、1963年デトロイト生まれのテクノミュージシャン、DJです。デトロイトテクノの創始者の一人として活動をしています。

父親のいないデリック・メイは母親に育てられ、13歳の時にデトロイトの南西に位置するBelleville(ベルヴィル)という郊外の町に母親とともに引っ越してきました。

音楽を始めるきっかけになったのは、たまたま同じ学校にJuan Atkins(ホアン・アトキンス)やKevin Saunderson(ケヴィン・サンダーソン)がいたことでした。Juan Atkinsは、のちに「テクノのゴッドファーザー」と呼ばれるようになる人です。

ベルヴィルの町に住んでいる人のほとんどが白人で黒人はほとんどいなかったため、3人はすぐに仲良くなりました。

やがて大学生になり、ホアン・アトキンスは学校で音楽を学び、デリック・メイは陸上競技の選手、ケヴィン・サンダーソンは奨学金を得てフットボール選手として活動していました。

デリック・メイは陸上競技の選手として活動していたため、しばらくホアン・アトキンスとは連絡を取っていませんでした。しかし、18歳の時に学校を退学し、陸上競技を辞めたことにより、再び連絡を取り合うようになりました。

デリック・メイとケヴィン・サンダーソンはホアン・アトキンスに影響され、少しずつ音楽の世界に入っていきました。

3人は一緒に音楽活動をし、パーティーなどでDJをしたり演奏したりしていましたが、本格的にプロ活動を始めてからは、各々が独立しました。

デトロイトのカリスマ的ラジオパーソナリティーであるElectrifying Mojo(エレクトリファイン・モジョ)の番組で流れる音楽と、初期のシカゴハウスのパイオニアたちのDJスタイルにインスパイアされたデリック・メイは、そこにハイテクソウルを融合し革新的な作品を作り出していきました。

デリック・メイは、自身のレーベル「Transmat」を1986年に立ち上げ、自身の最初のシングルとして、Rhythim Is Rhythim名義でThomas Barnett(トーマス・バーネット)との共作の「Nude Photo」を1987年にリリースしました。

1988年にリリースした「Strings Of Life」は多くのアーティストにリミックス、カバー、サンプリングされ、デリック・メイの代表曲となりました。

Rythim Is Rythim – Nude Photo

Rhythim Is Rhythim – Strings Of Life

デリック・メイは、自身のリリースだけではなく、才能の発掘にも熱心で、Carl Craig(カール・クレイグ)、Stacey Pullen(ステイシー・プレン)、Kenny Larkin(ケニー・ラーキン)、Joey Beltram(ジョーイ・ベルトラム)など多くのアーティストを輩出しています。

そのような活動は少なからず、シカゴのハウスミュージックに影響を与えてきました。1993年以降は、DJ活動のみで、新曲は既存の曲をリミックスする程度でした。しかし2016年にマケドニア・シンフォニー・オーケストラがデリック・メイの作品を演奏し、感動したことがきっかけで新しい試みが始まりました。

そのときの感動を元に、ルクセンブルグ出身のピアニスト、Francesco Tristano(フランチェスコ・トリスターノ)演奏で「Surface Tension」をリリースしました。日本版バージョンは坂本龍一の「戦場のメリークリスマス」も収録されています。

Derrick Mayのおすすめ曲

Rhythim is Rhythim – Beyond The Dance

Sueño Latino ‎– Sueño Latino Derrick May Remix

Derrick MayのDJ Mix

Derrick May @ ADE party – Amsterdam (2019)

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